内河 丞士(Joji Uchikawa)さん (州立ハワイ大学海洋学部 博士課程)
1976年生まれ。 1997年、静岡県内の公立普通科高校を卒業した後に渡米。 州立ハワイ大学に入学。 2001年、同大学海洋学部地球環境科学科から学位取得。 2002年より同大学海洋学部、地質海洋学/地質化学科への大学院進学。 2006年に修士課程を終了し現在は博士課程に所属。専攻は古海洋学、古気候学。
私が「英語ができるようになりたい」と最初に自発的に思ったのはおそらく中学1年の頃だったと思います。 その当時、某大学の国際関係学部に在籍していた方に、日頃の学校の課題のサポートや高校受験対策として、家庭教師をお願いしていました。 その先生はいわゆる帰国子女で、大学の長期休暇を使って海外旅行に行ってはちょっとしたお土産を私に買ってきてくれたものです。 私はその「単身でフラっと海外に行けてしまう」、「英語を使って外国でも苦労なく人とコミュニケーションがとれる」という事に非常に刺激を受け、単純に「カッコいい」と感じていました。
今になって思えば、私の英語の「根本」を植え付けてくれたのはその先生でした。 彼の教え方というのは少し独特でした。 もちろん日頃の学校での宿題のサポートをしてくれました。 けれど英語に限っては中学の教科書であったり高校受験用の問題集はほとんど度外視して、「生きた英語」、「本当に使える英語」というものに重点を置いてくれていたようです。
まず、先生が私に徹底して伝えてくれた事は、「Apple」とは、あくまで「Apple」であって「アップル」でも「りんご」でもないという事でした。 要するに、『英語は英語であって、それをいちいち頭の中で日本語に変換するのはナンセンスだ』、という事です。
今の私も思っている大切な事は、本当の英語力とは、英文を読んだり聞いたりした際に、その状況や情景を頭に中にすんなりと浮かべることができるという事に尽きると思います。 英語を頭の中で日本語に置き換えて、その日本語での情報をもとに状況を把握するのは単なる二度手間です。 最初から英語の情報を自分の頭の中で英語としてプロセスできる事が大切だと思います。
そしてもう一つ、先生が私に徹底した事は『英語の文章を読解する時にすんなり頭から読解しなさい』という事でした。例えば、日本の学校教育や受験英語で「この関係代名詞の"which"が文中での何を示すか書きなさい」というお得意の問題があります。 でも、この手のタイプの問題は、代名詞であったり関係代名詞が文中に出てくる度に、その前に戻って文章を読む悪い癖が身に付いてしまう可能性があります。 日本語を読んだり聞いたりするときに「それ」や「そういった」という事が何を指すか、いちいち気にしながら内容を読解する人はいないはずです。 これは英語も同じ。 文章を文頭から文末まで、逆戻りしたりせず、まっすぐに繋げて内容を把握するのが一番簡単です。 この二点は今英語を勉強している人、あるいは今後もっと英語に取り組みたいと考えている人に、是非日頃から留意してもらいたい点です。 早い時期から『英語は英語である』という線引きをする事が不必要な混乱を避け、英語レベルの上達の近道になると思うからです。
「では、そもそもなぜ英語が必要なのか…」 「英語が使えればどんな可能性があるのか…」
これは一人一人が自分で答えを見つけなければいけないと思います。 「ビジネスチャンスが広がる」と答えるのもいいだろうし、「海外の人とコミュニケーションが取れるようになる」と答えるのもいいと思います。 あるいはもっと現実的に「受験や資格のために必須である」というのもあるでしょう。
私の場合は上記したように「英語に対する純粋な憧れ」もモチベーションの大きな弾みになりましたが、高校2年の後半からはもっと現実味を帯びた「英語を勉強しなければならない理由」ができました。 当時私はせっかく大学に進学するのであれば、ちゃんと自分が興味をもって勉強できる事をやりたいと思っていました。 「将来の就職に有利そうだから志望は経済学部にしておこう」とか「とりあえず有名だからあの大学に行きたい」といった理由での進学は単なる時間と費用の無駄に思えて仕方ありませんでした。 そして自分の興味を優先した結果、自分は海の環境や海洋生物について勉強したいという結論に至りました。 しかし、残念ながら海洋学部自体が当時は日本の大学に少なかったことや、高校での選択科目と受験科目の折り合いが付かなかったなどの理由で海外留学を考えるようになりました。 結果として自分にとっては「英語を勉強する」と言うのは現実味を帯びた必須条件になりました。
そしてほぼ高校卒業と同時に渡米し、アメリカで大学進学をしてから10年以上が過ぎました。 私は現在、州立ハワイ大学海洋学部に在籍し理学博士号を目指して研究に従事しています。 今の自分にとっての英語は「勉強する科目の一つ」から「自分が勉強、研究している事を伝えるための道具」という位置づけに変わりました。 研究者は自分の研究内容、結果や成果、そしてそれによって得られたデータの考察を学術論文や学会でのプレゼンテーションという形で発表しなければなりません。 もちろん日本語を母国語とする私には、日本語で学術論文を書いて、日本の専門誌に寄稿するという選択もあります。 しかしそれでは、その論文は同じ分野で活躍する研究者達のうちほんの数パーセント程の人の目にしか止まらないし、引用される事もありません。
論文とは誰かの目にとまり、その人の論文に引用される事で価値が付くものです。 より多くの人に読んでもらうには、当然、英語で論文を書くのがベストです。 そんな今の自分にとって英語とは、自分のデータや研究での発見を論文という形で世界に向けて発信するツールです。 そして今後も意義のある研究をするとともに、自分が発表する内容を、英語を「母国語」として使う人達だけでなく「外国語」として使う人達にも同じように簡潔で分かり易く伝える事ができるように、より自分の英語スキルの発展に勤めたいと思います。
[参照]
州立ハワイ大学海洋学部
http://www.soest.hawaii.edu/oceanography
内河さんホームページ
http://www.soest.hawaii.edu/oceanography/students/juchikawa.html