「隣の人の英語と人生」カテゴリーアーカイブ

英語を使う現場で活躍する人たちの声

英語を使うことに喜びを見出せることが重要だと思います

渡嘉敷 祐介 (Yusuke Tokashiki) さん (玩具販売代理店業務)

1963年、埼玉県生まれ
青山学院大学経営学部、Mercy College, NY
NYでのヘッドハンティング事業の後、現在ロサンゼルスで玩具販売代理店業務

私は、86年に渡米、在米生活は丸23年になります。 現在はロサンゼルスの近郊に在住、カプセルトーイ(日本で言うガチャガチャ)のディステリビューター会社を経営しています。 それ以前は、日本の玩具会社、トミーの現地法人で、営業とライセンシングの責任者をしていました。 
西海岸に移住して6年ほどたちます。 その前にはニューヨークで16年ほど生活しておりました。 渡米の大きな理由は、米国の個人主義と、国を形成するダイナミズムに高校時代より憧れを持ち、将来、自身のビジネスを構築して、経営していきたい意向が日々強くなったからでした。

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学生時代(中学、高校)の英語学習は、全くと言ってよいほど、興味は沸きませんでした。 文法や読解など、非常に学問的な要素が強く、英語をコミュニケーションツールとして考え、それを利用することで自身の世界が広がる、という考えが出来にくかったのが大きな理由だったのではないかと思います。 一応、進学校に通ってましたが、成績も常に赤点ぎりぎりだったと記憶しています。 特に英語の勉強はしなかったです。

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しかし、自分の夢を実現するために、必要な英語の習得には興味があり、知識の無いなりに、渡米にあたっての、また、将来的な英語の攻略を、自分なりに考え始めました。 その当時、大学浪人して入学し、親元を離れ自活を始めた時期だったので、資金も無く、英語学校に毎日通うという選択肢は可能性として必然的に低く、他の方策を考えなければなりませんでした。
そこで思いついたのが、現在も日本国内に何箇所か存在する米軍基地での勤務=英語習得というものでした。 幸運なことに、神奈川県厚木の米海軍航空施設EMクラブに、カクテルウェイターとして就業し、とりあえず、毎日英語を否が応でも話さなければならない環境は手に入れました。 客は全て軍属の兵隊(もちろんアメリカ人です)でした。・・・・・
夕方5時くらいから夜中まで、週末は、午前2時近くまでの勤務だったと思います。 その当時は、毎日覚えたフレーズや単語の使用を試み、失敗すれば翌日には訂正するという、会話を上達させる上では理想的な環境だったと思います。 誰もが米軍基地での就業は可能ではありませんが、私の場合、ここでの2年間は、英語環境に慣れたという意味では、非常に幸運であったと思います。 また多くの友人にも恵まれました。 私は、そのクラブの歴史上、初めての日本人カクテルウェイターであったとのことを後日聞かされました。 それまでは、全て米国人(英語がネイティブ)か、フィリピン人の方々がほとんであったそうです。 その頃は、まともな会話もおぼつかない様な状態でしたから、よくクラブマネージャーが雇い入れたと思っています。 しかし、会話も上達するにつれ、兵隊たちの友人も急激に増え、非番の日にはよく、横浜に何人かを連れて、遊びに行ったものです。 それまでは、非常にバカにした態度を取られていましたが。そのうちの一人は、私が彼に頼まれ声を掛けた日本女性と結婚し、今も幸せにやっています。 厚木のカクテルウェイター時代は、その後の渡米の情熱と英語習得の興味を更に高めてくれました。

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渡米後の1年半は、お決まりのレストランビジネス(皿洗い、キッチンワーカー、アシスタントマネージャー等)で生活していましたが、87年の夏に転機が訪れ、コロラド州のデンバーよりニューヨークに移住が決まりました。
東京の従兄弟の会社の米国オフィス設立にあたり、声が掛かり、二つ返事で引き受けました。 一応、翻訳通訳、イベント、人材斡旋会社ということでしたが、当時は、日本はまさにバブル経済の真っただ中、今思い出すと、恥ずかしいくらい経営はいい加減だったと思います。 クライアントはほぼ100%が日系法人でありましたし、サービスも経営もいい加減でも通ってしまう不思議な時代でした。
その頃から人材業務に従事し始めたのですが、バブルも崩壊し、クライアントの求めるサービスの質も徐々に高まり、今までのやり方では全て淘汰されるという畏怖の中、アメリカ人とのコミュニケーション能力の向上は不可欠になってきました。大学に行きなおし、英語の基礎をやりなおさなければと真剣に考えました。 結局、2年ほどニューヨークのカレッジに通いました。 目的が明確であったので、効率も良かったと思います。

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97年くらいからでしょうか、人材紹介業務を人材のサーチ、ヘッドハンティングに切り替えることにしました。当時、ニューヨークに存在した日系の人材紹介会社は、どこも、職を探す人間の履歴をファイルし、クライアントからの要請があった場合に、その中より選別・紹介する会社ばかりでした。 私が同じことをやっていても、資金力の無さで結局ラチがあかない。 そこで、彼らに出来ないローカルのアメリカ人の人材サーチ・ヘッドハンティングしかないとの結論に行き着きました。 それも、ニューヨーク地区に多く存在する、大手日系メーカーに、セールス、マーケティングの人材を充当するのを専門にサービスし始めました。

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営業し、徐々にオーダーも増え始めましたが、手元に適当な人材の情報が無いわけですから、何とか入手しなければなりません。 クライアントでも、候補者とでも、とにかく電話で知らない人と英語で会話をするのです。 恥ずかしい、嫌だ、などとは言ってられません。 クライアントは日系企業とはいえ、コンタクトをする窓口の人間はアメリカ人が多かったのです。 もちろん、トップの社長は、日本人であることが多かったですが。 私はその点を踏まえ、信用を得るという意味で、日本人である長所を大いに利用しました。 候補者へのコンタクトは、まずオーダーの入ったポジションの業界をリサーチし、競合社のリストアップをし、その後、タイトル(肩書き)を頼りに名前を入手し、本人にコンタクトする。 実際に本人に会うまでは、全て電話でのやり取りです。 相手も忙しい中、電話で話す短い間に、なんとか情報を引き出し、相手に興味を持ってもらわないといけません。 電話をかける前には、大まかな会話の台本も用意して、一回一回が本番勝負というような意気込みでした。

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その作業は徐々に楽しくなっていきました。 ポジションにもよりますが、本人からレジュメ(履歴書)を提示してもらい、クライアントとの面接を設定するまでに、本人とは100回以上は最低話をするのではないでしょうか? 信用を勝ち取らなければ、決してそこまで進みません。 その当時、パートナーたちの手法を真似したり、会話を覚えたり、出来ることは何でもしました。 このヘッドハンター時代は、一日平均6時間は、電話で英語を話していたと思います。 今考えると、良くやっていたと、自分でもあきれると共に、感心もします。 補足ですが、その当時、スクリーンプレイという本(映画の台本の台詞が全て英語で記述してあり、日本語の訳とフレーズの説明等がある)をむさぼり読み、会話を記憶していました。 マイケルダグラス主演のウォールストリートなどは、かなりの部分を記憶するくらい繰り返し読みました。 これは非常にためになりました。

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私の英語学習経験は、多くの方々にとってためになるかは疑問ですし、皆それぞれ、適当な手法が違うと思います。 ただし、学校での学習は決して無駄ではありませんし、非常に重要であると、今改めて感じています。 私の場合、基礎が無かったので、非常に乱暴な手法になってしまいましたが。 現在も、勉強不足を感じることは頻繁にあります。 何事もそうでしょうが、英語を使うことに喜びを見出せることが重要だと思います。 そうでなければ、結局長続きしませんよね。
英語を利用して何をしたいのか、アカデミックな方向に進みたいのか、ビジネスをしたいのか、人それぞれだと思います。
私自身は英語でコミュニケーションをとる事が個人的に非常に楽しいですし、また、アメリカ人の考え方、文化の違いを知ることで、自分が日本人であるバランスを取っているところは大いにあります。

考え方が柔軟で多様になり、寛容になり、そして心が広くなっていきました

佐藤規久 (Norihisa Sato)さん (歯科医師 佐藤ファミリーデンタル)

1970年生まれ、東京出身。 
カリフォルニア大学アーバイン校、NY州コロンビア大学歯学部大学院を卒業。
カリフォルニア州アーバインにて佐藤ファミリーデンタルを開院。

英語を勉強しようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

12歳の時、兄が聞いていたビリー・ジョエルの曲を聞いて、初めて英語に興味を持ちました。 何だか、かっこいい音楽という印象がありました。 しかし、英語の歌詞が全く分かりませんでした。 中学に入って、初めて英語の歌詞を見ながら口ずさめるようになり、とても嬉しかった記憶があります。 その時の喜びから、英語が好きになりました。
高校1年のとき、クラスメートに帰国子女が1人いました。 その人の発音する英語は、先生よりも上手で、まさに本物の英語でした。 これにはとてもショックを受けました。 学校で習っている英語と海外で学んできた人の英語は別物なんだと思いました。 その時から、実際に使える英語を勉強したいと思い始め、漠然と将来、英語を使って仕事をしたいと考え始めました。

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どうすれば英語が上達し、楽しく学ぶことができるのでしょうか?

英語を学んでいく上で、音楽、映画、ドラマなど、何か英語に関係するものに興味をもち、楽しみながら長く学び続けられると次第に上手になります。 分からない言葉が出てきたら、そのまま放置しないで、辞書で調べてみようと積極的に思えることが大切で、徐々に語彙も増えてきます。
英文を読んだり、聞いたりするだけではなく、留学生や帰国子女など、英語を話せる人と友達になり、英語を話す機会を作れると一層興味が沸いてきます。

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なぜ、英語を学ぶことが必要だと思いますか?

よく言われているように、英語は国際的な共通言語です。 アメリカやイギリスなど、英語圏の人だけではなく、アジアの人でも、ヨーロッパの人でも、英語という共通言語を通じて話し合い、意見交換することができます。 特に、今はインターネット社会ですので、英語さえできれば、たとえ日本にいても世界中の人と知り合えるのではないでしょうか。 同じ趣味の外国人から、日本では考えられないような意見を直接聞く機会もあるでしょうし、例えば、イラストが上手であれば、海外の会社や個人と直接契約を結ぶこともできると思います。 まさに世界が広がります。

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英語を学んだら、どのような楽しみがあり、どのような広がりがあるのでしょうか?

英語ができると、英語が母国語の人だけでなく、英語を話す世界中の人と意思疎通ができます。 英会話が上手くなってくると、価値観の違い、文化の違いも感じられるようになります。 それによって幅の広い経験ができ、自分の幅も広げることができるのです。

18歳まで日本で暮らしていて、気がつかなかったこと、アメリカに来て、英会話が上達して初めて気付いたことがあります。 基本的に、単一民族国家である日本での日常生活では、日本人の価値観や意見は多様性に乏しく、個性的な人ほど窮屈に感じてしまうことが多いということです。 アメリカに来て間もない頃は、何事も、自分の乏しい日本での経験から判断していましたが、多人種国家であるアメリカ滞在が長くなるにつれ、徐々に自分の考え方が柔軟で多様になり、寛容になり、そして心が広くなっていきました。 世界が広がったのです。 性格にも影響したと思います。

また、英語が分かり始めると、アメリカが個人の才能、良いところを、かなり積極的に評価してくれる国だということも分かりました。 そのため、人種に関係なく、英語が下手でも、テニスが得意とか、ピアノができるなど、一芸があれば何とか楽しくやっていけます。 同じ趣味の人が見つかれば、すぐ友達になれます。 また、勉強やスポーツができる人は、とことんその分野を極められます。 その道のプロになりやすい環境が、日本より身近にあると思います。 自分さえ希望し、努力すれば、自分の限界まで上手くなれる機会が与えられる環境がより身近にあるのです。

障害者など、社会的弱者を積極的に認めているのも、アメリカのいいところではないでしょうか。 日本でバリアフリーという言葉が使われる何年も前に、アメリカでは、障害者への配慮が建物の基準とされていました。 最初に留学した学校に、日本人の車椅子の障害者がいましたが、校舎はバリアフリー、寮も障害者用の部屋があり、バスタブが入りやすいように工夫されていました。 きっと、その人は日本もこうあってほしいと望んだことでしょう。 当時は、障害を持っていながらの留学はすごいと、ただただ感心していましたが、今考えてみると、彼にとって、とてもいい経験になったと思います。 帰国後、他の障害者に、アメリカではバリアフリーがこれほど進んでいると伝えたのではないでしょうか。

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今後、どのように英語を学習していき、英語を使って、どういうことをしていきたいですか?

自分の意見を、ニュアンスも含め、英語でより上手く伝えられるようになるため、今後も積極的に英語を学んでいきたいです。 今は、毎日の診療時間の合間をぬって、夕方に「トーストマスター」という英語のスピーチクラブに参加し、大勢の人の前で説得力ある話し方ができる力を磨いています。 日本にもあります。 興味のある方はインターネットで検索してください。

以前は、アメリカの良いところを日本に紹介しようと思っていましたが、逆に最近は、自分がもっと英語を磨いて、日本の良いところをアメリカの人に理解してもらおうと思っています。 例えば、料理人であれば、和食の美味しさを広めるとか。 自分の場合は、アメリカ人を始め、日本人以外の患者さんに、隅々まできちんと手の届いた日本式「ホスピタリティー」を基本に、その場限りではない心のこもったデンタルケアを実践していくことでしょうか。

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現在、どのような職業をされているのでしょうか? 

今、アメリカで歯医者をしています。 アメリカで歯科医師免許を取得したあと、日本の免許も取得しました。 普段はアメリカで治療していますが、年に最低一度、日本に戻る際には、いつも何件か歯科医院を訪問見学し、日本の現状も勉強しています。 そのため、日本とアメリカの医療制度や社会保障制度の違い、良い点と悪い点が分かります。 それぞれの良いところを享受することができますし、患者さんに教えてあげることもできます。

例えば、アメリカに滞在されている日本人の患者さんを治療する場合、歯科矯正治療、審美治療、予防治療などは、日本では保険外治療になることが多く、全額自己負担のため、高額で受けづらいのですが、アメリカでは歯科保険が適用されるため、日本人の患者さんには特に喜ばれています。

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英語の勉強方法でアドバイスはありますか?


英会話は作文ではないので、ある程度の文法の間違いは気にせず、どんどん話していくのがいいでしょう。 心を開いて、英語で何でも話せる友達を見つけることです。 英語が母国語の人がいいのですが、最初は英語が母国語でない留学生でも構いません。 その方がお互いに、英語で上手く言えないことが分かっているので、落ち着いて聞いてくれるでしょう。 英語が母国語の先生と親しくするのもいいと思います。

「語学・文化の壁」を、ついに越えることができたと実感しました

M. E. さん (Political Science:政治学科 専攻)
高校を卒業後、アメリカ、カリフォルニア州オレンジ郡のELS語学学校へ留学。 その後、Community Collegeを卒業し、日本に帰国。 再渡米し、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校のPolitical Science(政治学科)専攻に編入。 2009年春に卒業して、日本に帰国。 学んだ知識や経験を役立てようと、現在奮闘中。

~ 英語への興味 ~

中学2年の夏に、アメリカ、カリフォルニアのサクラメント市に2週間の短期交換留学をしました。 それ以前は、海外に出たことも、ましてや一人で旅行をしたこともなく、初めは大丈夫かなと不安に思うこともありましたが、2週間はあっという間に過ぎました。 
滞在中はアメリカ人家族の一家にお世話になりました。 家族の方は、一生懸命いろいろと話しかけてくれましたが、私は全く理解できず、意思疎通が困難な上、また文化の違いに唖然とすることもありました。 どうしようかと思っていたとき、家族の娘さんがフルートを出してきて、吹いてみないかと誘ってくれました。 私は、中学校のブラスバンドでフルートを吹いていると話すと、興味津々でいろいろ話を聞かせてほしいと言われました。 共通の話題があって嬉しくなり、一生懸命自分の話をしようと思ったのですが、英語が全く話せなかった私は、自分が話したい内容の10%も言えず、英語を話せたらもっと詳しく説明ができるし、相手の話もたくさん聞けるのになあと、とても残念な気持ちになりました。
英語を話したいと思った理由は、自分の意思を相手にちゃんと伝えたいと思ったり、相手の話をもっとよく理解したいと思ったからです。

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~ 留学生活 ~

高校を卒業して、1ヵ月後に渡米しました。 カリフォルニア州オレンジ郡にあるELS語学学校に数ヶ月通ったのですが、この学校は、隣に大学があるので、アメリカ人の学生と一緒に生活できるところが魅力でした。 大学の講義を受けることはできませんでしたが、日本語を学ぶアメリカ人学生と友達になって、彼らのクラスに行って、日本語を教えるボランティア活動をしていました。 その結果、日本に興味を持つアメリカ人の友達がたくさんできて、彼らから英語を学んだり、アメリカの文化を教えてもらいました。 大変貴重な時間を過ごすことができたと思っています。
語学学校のあとは、近くのコミュニティカレッジに入学し、実際に英語で一般教養のクラスを取り始めました。 はじめは、1割も理解できていたかどうかわからない程度でしたが、3年が経って、必要な単位をとり終え、最終目標だった4年制大学へ編入することができました。 最後の2年間の大学生活は、あっという間でした。 授業では、頻繁にグループ発表があり、最初は苦手と思っていたのですが、何度も回数を重ねるうちに、仲のよい友達ができて、一緒に勉強することが楽しくなっていきました。 グループ内での発言も自信を持って言えるようになり、英語を話すことが楽しいと思うようになっていったのです。

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~ 留学から得たもの ~

先月、大学を卒業しました。 長い留学生活でしたが、卒業証書を手にしたとき、中学のときに目の当たりにした「語学・文化の壁」を、ついに越えることができたと実感しました。 語学習得には、長い時間がかかること、焦らずこつこつと続けていくことが大切だと思います。
言葉は自分や何かを表現するための道具ですが、これをどう生かしていくかが、私の今後の課題です。 海の日に、私の地元で湧水太鼓のフェスティバルがあります。 このフェスティバルに、アメリカから十数人の太鼓パフォーマーたちが参加する予定です。 私はこのフェスティバルで通訳のボランティアを頼まれました。 日本のよい伝統文化が国内だけの活動にとどまらず、海外にも伝わっていることを、とても嬉しく思っています。 海外から来客を迎えるとき、また国内から外へ文化を発信するようなときには、英語というツールを上手に使っていけたらいいなと思っています。

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~ 英語を学んでいる人へ ~

私が英語を勉強する上で苦労したことは、単語の数を増やすことです。 文章を読むときに、単語の意味がわからないと、前後の流れが読めません。 そこで、知らない単語がでてきたら、ノートに書き取って意味を調べていくことで、数を増やしていきました。 単純なことですが、こつこつと続けていくことが大事だと思います。
私は、英語を勉強し、自分の意見をはっきりと相手に伝えられるようになったことがとても嬉しいことでした。 言いたいことがあっても、言葉を知らないから言えないというのは、とても悔しいことです。 私の場合は、英語に自信を持ってから、大学の授業でも発言が増え、学校生活が楽しくなりました。
今、まさに英語を勉強されている方にいいたいのは、 言葉はあくまでも自分の考えを伝えるためのツールだということです。 そのため、勉強をしながら、「英語を話せるようになったら、何をしたいか、今後どのように英語を使っていけばよいか」を常に考えながら学ぶと良いと思います。 

やってだめな方が、やらなくてだめな方よりずっと良いと思います

石坂拓郎(Takuro Ishizaka)さん(Cinematographer:撮影監督)

神奈川県川崎市生まれ。高2の夏に渡米、アリゾナ州にある高校に編入、大学に進学し、
写真を通じて映画に興味を持ち、Chapman University, School of Film & TelevisionのFilm Productionを卒業。
在学中に撮影監督(Cinematographer)に興味を持ち、その道を進む。 
現在、カリフォルニアのロサンゼルスにFrameworks Films Inc.を設立し、
そこを拠点として、日本、アメリカでCinematographerとして活動中。 現在、渡米19年目。

~英語との出会い~


英語に最初に一番触れたのは、歳の離れた姉が良く聞いていたQueenの曲だったと思います。 子供の頃からその曲が好きで、いつの間にか聴く曲のほとんどが、洋楽ばかりになっていました。 ロック全盛期のおかげもあったと思います。
日本盤のレコードやCDには、幸い歌詞カード(日本語訳)が付いて販売されていたので、それを見ながら歌詞を覚えたりしました。 そして、書いてある言葉なのに、口に出して歌われる時には省略されていることがあることを知りました。 歌は一番簡単に手に入れられる生きた英語だったと思います。 その後も、映画などのサントラを買ったり、映画メイキングの本を買ったりと、何となく英語に触れながら暮らしていたと記憶しています。

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中学二年の時に、夏の間だけ、カルフォルニアにホームステイをする機会がありました。 サクラメントでのホームステイを最初に、最後はロスアンゼルスのUCLAキャンパス内(カリフォルニア大学ロサンゼルス校の構内)の英語教室に通うプログラムでした。 初めての英語漬け生活でしたが、行く前に持っていた恐怖心などは、楽しさが吹き飛ばしてくれました。 これをきっかけに、アメリカへの留学を本気で考えるようになりました。
一度外の魅力に触れると、日本での日常がとても色のない物に思えてきて、アメリカに戻りたい気持ちが膨らんでいきました。 高校一年までは我慢したのですが、そこが限界で、ついにアメリカへ行く事に決めました。 以前行った、あのカルフォルニアに留学したいと思っていたのですが、ウェスタンの魅力を前面に出していたアリゾナの全寮制高校へ行く事に決めました。 そこは変った学校で、馬を毎日乗る事も出来る農場の中にある学校でした。

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~留学~

留学を決める時に、一番不安に思うのが言葉だと思います。 少なくとも、私はそうでした。しかし、実際に行くと、人間の違い、文化の違い、常識(あたりまえ)の基準の違いなど、言葉以外の多くの「違い」に気づかされ、そして悩まされます。 
高校に留学して初めての年に、住んでいた寮の部屋で、次々と物が無くなっているのに気づきました。 時計やトラベラーズチェックなどです。 どこを探しても見つからないため、おかしいなと思っていたところ、学校の先生から、「君のトラベラーズチェックを生徒の一人が、学校内の銀行で現金化しようとして捕まった」と言われました。 捕まったと言ってももちろん、先生にです。 その後、先生達による学校内の裁判のようなものが行われ、まず、取られたトラベラーズチェックを見せられました。 そこには、なんと自分の部屋の隣の生徒の名前が書かれていました。 本当は、使用前に書いてあるサインと同じサインを、下の部分に、使う時点で書かなければいけないのに、なぜかそこには上部に書かれてある自分のサインではなく、盗んだ生徒の名前が書いてありました。 それを見て、あきれて物が言えませんでした。 しかし、さらに驚いたのは、先生に、「きみもそんな盗りたくなるような場所に置いておくのはいかんよ」と注意されたことでした。 アメリカでは、自分の事は自分で守るという意識が国民の中に根強くあります。 極端な一例ですが、常識というのは、国が違うとこうまで違うのだなあと感じた瞬間でした。

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アリゾナの高校に行き始めてしばらく、ESL(English As second language)のクラス を取りながら普通の授業も取っていました。 歴史の授業を取った時に、日本で受けていた授業との大きな違いに気づきました。 ほとんどのテストがエッセイだったのです。 日本だと、名前や年号、地名などが主に記憶する対象となりますよね。 単語の穴埋め的な問題が多いと思います。 しかし、アメリカのテストのほとんどが、質問に対して、その時代の人名、年号、重要な出来事を織り交ぜながら、自分の文章で説明しなければならないものでした。 そのため、必然的に歴史の流れを理解していないと文章には出来ません。 おかげで、名前や数字だけを記憶するのではなく、物事が起こった流れとともにそれらも記憶するようになりました。 
こういった、一人一人の物事の解釈をチェックする、「ただ単に単語を覚えさせるのではない、考えさせる教育」が自分にはとても合いました。 日本にいる時にはつまらなかった授業が、知識を得る楽しい時間に思えるようになりました。
学校での友達作りも、最初は簡単なことではありませんでした。 恐らく、留学生とアメリカ人の生徒の双方にとって、意思疎通が容易ではなかったからだと思います。 アメリカ人にとって、当たり前に話せる言葉がしゃべれない外国人に対して、どういう接し方をすればよいのか分からないのが当然で、優しくしたり、からかったりと、探りながら接しっていき、ゆっくりとお互いの関係が築かれていきます。
留学する場所によって、扱われ方は結構違うようですが、自分はラッキーだったのではないかと思っています。 適度にからかわれて、適度に相手にされ、次第に友達も増えていきました。 しゃべれなくても、しゃべろうとするのが一番大事で、間違えるからしゃべりたくないという考えでは、全くうまくなりません。 ただし、みんなが最初に覚える悪い言葉は、使う場所、使っていい場面を判断出来る位には、理解しておいた方が良いですね。 知らないで大恥をかくことはしょっちゅうでした。

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~日本・日本人~

留学を通して得られた多くのことの中で、最大の成果は、自分のアイディンティテーを再確認させられたことでした。 日本人であるということです。 日本は、日本人やアジア人が多く、白人や黒人に囲まれて育ってきた人は少ないでしょう。 周りに居るのが日本人で当たり前の生活です。 ところが、一度外に出れば自分が外国人なのです。 この当たり前のことって、意外に意識していませんよね。 アメリカ社会にいれば、自分はあくまで日本人なのです。 
色々と日本について、質問攻めにあいました。 その時に、日本について、あまりにも自分が無知なことを知りました。 自分が住んでいた国、一番知っているはずの日本なのに、アメリカ人のいろいろな質問の中で、答えられないことが数多くありました。 「禅」ってなに? 「能、歌舞伎」を簡単に説明出来ますか? 意外と生活の中で意識してこなかった自分の国に関すること、授業をつまらないと思っていた歴史の大切さなどを再認識しました。 外ばかりに目を向けていたためでしょう。 しかし、これも外の世界に出て、初めて認識できたことだと思います。 
スペイン人、アメリカ人、フランス人、ドイツ人など、みんな自国の自慢をする人が多いのです。 その中にいると、日本人として自分の国の自慢出来る部分などを考えさせられます。 ただひたすら出て行きたかった日本、その魅力にようやく気づかされたのです。 日本から出たことの一番大きな成果は、もしかしたらこれかもしれません。 問題も魅力も、ちょっと離れた立場で、外からゆっくり眺めたり、他の物と比べてみると、はっきり見えてきたりします。

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~仕事~

現在、映画のカメラマンという職業を通して、多くの国を訪れる機会があります。 タイ、中国、ブラジル、ロシア、日本、アメリカなど、どこの国に仕事に行っても、それぞれの国の人が、その国の常識やルールを押し付けてきます。 他国に入っていく人も、自分の価値観、ルール、常識を持ち込みます。 そんな時、偏見の目で見る前に、その国の風習や言語などを色々な角度から判断して、それに合った対応で人に接して行く方法を選ぶことができるようになりました。 
自分の常識を一方的に押し付けて行くやり方では、映画は作れません。 多くの人が関わり、決して一人では作れないのがまた魅力なのでしょう。 また、映画は国や町の構造、法律などで撮影のやり方が大幅に変わってきます。 決して一つのルールが、すべてに当てはまらないのです。 そのため、みんなが話し合い、良いところを学び、悪いところを知るという作業が必要です。 
このとき、英語のおかげで、自分の言い分だけでなく、相手の良い部分も等しく判断出来るのは非常に大きな利点です。 たとえ、英語圏で生まれ育っていない人でも、英語をしゃべれる人は多くいます。 通訳を通して聞く意見は、少し和らげられたり、無駄なことを省かれたりしています。 これは、どんなに優秀な通訳でも、起こりえるのです。 英語が出来ると直接相手と話せる機会が増えます。 すると、ずっと物事がスムーズに進むのです。 洋画を英語で聞くのと吹き替えで聞くのでは全く違うのと同じです。 英語は道具です。 使い方は人それぞれですが、うまく使えば、本当にこれ以上の道具は無いでしょう。 高校の時に留学してから、あきらめずに続けて英語を身につけておいて、いまさらながら、本当に良かったと思っています。

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これから英語を学ぶ人、学んでいく人は、とにかく英語を聞いたり、しゃべったりする機会を増やしていく努力をしてみてください。 完璧でなくても良いのです。 しゃべりだす事が一番大切だと思います。 英話のネイティブの先生に、自分が抱いた単純な疑問からで良いと思います。 どこから来たのですか? 日本にはなぜ来たのですか?など。 とにかく質問を考え、その答えを理解しようとすることが一番の勉強です。 英語は、コミュニケーションの方法の一つですが、一番多くの場所で使うことができるものだと思います。 さらに最初の一歩としては、一番入って行きやすい言語だと思います。 グローバル化が進んでいるこの世の中では、日本にいても使う機会が益々増えていくと思います。 日本にいるからいらないと思わずに、是非、頑張って身につけてください。 新しい世界が開けます。
映画、映像の世界に進みたい人は、なおさら英語を身に付けて下さい。

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今、一国だけでなくいろいろな国に出て行って働ける機会がどんどん増えています。 海外の映画、コマーシャルが日本に来たり、日本のコマーシャルが海外のあらゆる場所に行っています。 海外との共同制作なども頻繁に行われています。 ネットなどの発展もあり、本当に世界は狭くなってきています。 そして、現実的に共通言語として一番使われているのが英語です。 英語が分かっていて、絶対に損することはありません。 せっかく良い作品に参加する機会があっても、コミュニケーションが取りにくいということだけで敬遠されたり、採用されなかったりもします。 やはり直接コミュニケーションが取れるということは相手の安心にも繋がります。 プロデューサー、役者、監督、カメラマンと、どの職業に就いても同じです。 コミュニケーション手段は、多いのが一番です。 色々学びたい人にとっても、日本語訳されていない英語の本などから、情報を得て、有効に使うことが出来ます。 日本のスタイルを外に広めたい人、日本の外のスタイルを学んでいきたい人、どちらも英語をしっかり身に付けることが、大きな出発点となることでしょう。 英語に関しても、なりたいと思う映像の職業に関しても、後悔しないように、まずやってみる、チャレンジしてみることが最も大切だと思います。 「やっとけばよかった」が、一番悪い後悔の言い訳ですよね。 やってだめな方が、やらなくてだめな方よりずっと良いと思います。 勇気を出して、まず第一歩を踏み出しましょう!

だって人生を素敵にするための趣味だから

河合 省兵 (Shohei Kawai) さん (クリエイティブの企画・プロデュース)

生年月日:1975年10月14日  出身地 :東京  血液型 :AB型

住んだ街:京都(小学校)、木更津(中・高校)、オーストラリア(英語学校)、アメリカ(短大・大学)

経歴
東北新社:CM制作 プロダクションマネージャー
デザイン会社:パッケージ、SPデザイン制作 アカウントエグゼクティブ
リヴァーライズ:クリエイティブ企画・プロデュース 代表取締役

お仕事:クリエイティブの企画・プロデュース、人を繋ぐこと

好きな言葉:経年優化(時が経つにつれて良くなるモノゴト)

今よりもほんのちょっと人生を素敵にするために


僕は英語が少し出来る。
少しって、どれくらいか。
海外旅行に行っても困らない、
海外生活もほぼ困らない、
街で道を聞かれても答えられる。
映画も恋愛ものならそこそこ分かる。
それぐらい。

そんな僕が英語と出会ったのは中学校の英語の授業だったと思う。
「Hi! How are you?」で始まる英語の教科書。
苦手だった。

僕が通っていた中学校は、帰国子女を積極的に受け入れ英語教育にも力を入れる学校だったが、
元々勉強嫌いの僕は英語が苦手どころか将来的な英語の必要性さえ感じていなかった。
もちろん勉強にも身が入らない。
テストはいつも赤点、40点以下だった。
英語の教科書で覚えているのは、「Jumbo」「Hbari」というスワヒリ語くらい。
それほど英語に対して無関心だった。

そんな僕が33歳の今、英語が少し出来るのは何故か。
それは多分アメリカに留学したからだと思う。

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英語が出来た方が就職で優位だとか、
外人とコミュニケーションをとりたいとか、
そんなことを思っていたわけではない。
単にアメリカ映画が好きで、映画を作りたいと思い、留学した。
それだけだ。
英語に対するカッコイイ志なんて何も無かった。

オーストラリアやアメリカで通った学校の授業はもちろん英語。
当たり前だが、日常で必要とされるコミュニケーションも殆ど英語だ。
「結局留学しないと英語なんて出来るようにならないじゃないか」
そう思う方もいるかもしれないが、それは全くの間違いだと思う。
僕の住んでいたアメリカのロスアンゼルスという街には日本人が2万人もいた。
アメリカにいながら日本語だけで生活することが容易な街だった。
結局のところ自分の意識次第。
どこで学ぶかなんて関係ないように思う。
要は日本でもアメリカでも、いかに英語に触れる機会や環境を意識的に作るかだと思う。

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ところで、英語を身につけることって本当に役にたつのだろうか?
大人になって社会に出て、働いたり、デートしたり、食事したり、買い物したり・・・
海外旅行に行くと「あぁ、英語がもっと出来たらなぁ」なんて思ったりもするのだろうけど、
長い人生の中で英語を必要とされる時間なんてごく僅かでしかない。
だったらどうして英語を学ぶのか。

そもそも何かに役立てるために英語を身につけるという発想が違うような気がする。
英語というのは趣味みたいなものだと思う。
スポーツしたり、映画観たり、読書したり、お酒飲んだり。
要は人生を今よりもほんの少し楽しいものにする。
そのためのものだ。

スポーツだって、映画だって、読書だって、
全ては誰かと出会うことで何かを学んだり、何かを感じたり、新たな情報を得たりする。
それが人生をちょっと素敵にする。
英語も同じ。

身につける過程でも、見につけてからでも、必ず人生を少し素敵にしてくれる。
もし少しでも素敵な人生を望むなら、英語を始めてみるのは良いかもしれない。
すぐに習得は出来ないだろうけど、それが楽しい。
追いかけることの楽しさや、
手に入りそうにないものを手に入れる喜びは皆知っているはず。
大変な自分とか頑張っている自分が好きなんて気持ち誰にでもあるんじゃないかな。
英語を身につける過程で得たものや、身につけてから得たもの。
参考までに僕の話をしてみよう。

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アメリカの大学に入り、日々英語というハンディを背負いながら格闘した多くの授業。
そこで得たものは、共に悪戦苦闘した友達との出会いや絆。
そして英語の出来ない僕を助けてくれた皆の優しい気持ち。
「あぁ、色んな人に支えられて生きているな」とか
「努力してるといいことあるなぁ」とか感じたものだ。
そんな経験は、以前よりもほんの少し僕を優しくさせたと思う。

英語を身につけてから得たもの。
それは「機会」や「選択肢」だ。
例えば、英語が出来るというだけでアプローチ出来る人や会社が増える。
英語が出来ない人にはこない仕事や人に出会える可能性がある。
そういうことだと思う。
必ずしもそれを受け入れる必要はないが、
選べるということは贅沢なこと。
それってちょっと素敵でしょ?

さて、映画が好きでアメリカに留学した僕は今何をしているか。
日本で広告関係の仕事をしている。
そう。
アメリカでもなければ、映画でもない。

じゃあ、アメリカ留学や英語を身につけたことはムダだったか。
答えは「NO」だ。
先にも述べたように、英語は僕の人生を少し素敵なものにしてくれた。
自分の人生が素敵かどうかは、
「どこに住むか」とか「どんな仕事をしているか」ということだけではない。
「どれだけ素敵な経験を沢山したか」とか「どれだけ沢山の思い出を作れたか」だと思う。

そういう意味で、アメリカ留学や英語との出会いは、
僕にとって素晴らしいものだと言える。

もし英語を学ぼうかどうか迷っている人がいたら、是非一歩踏み出してみて欲しい。
途中でやめたって、全然上手くならなくたって、きっと何か人生を素敵にしてくれる何かになるはずだから。

頑張らないで楽しんでほしい。

だって人生を素敵にするための趣味だから。