「隣の人の英語と人生」カテゴリーアーカイブ

英語を使う現場で活躍する人たちの声

その人の将来の選択肢を世界に広げることになる

後藤さおり(Saori Goto)さん (日本料理店経営 シンガポール)

石川県出身。 関西の外国語短大在学中に1年のアメリカ留学を経て、
卒業後、関西空港にてグランドホステスとして約3年。
その後、他の日系航空会社へ転職し、国際線客室乗務員にとして2年間勤務。
自分の夢の1つを達成したため、今度は海外の日本大使館に応募し、採用されて、2年間の海外生活を送る。
結婚し、ご主人の仕事の為、シンガポールへ転勤。現在、同国にて、夫婦で日本料理店を経営している。

私はシンガポール在住6年になります。 現在は日本食のお店を夫婦で経営しています。
シンガポールは、中国系、マレー系、インド系といった様々な民族で構成された多民族国家です。
こちらの生活で実感するのは、英語はコミュニケーションの手段であるということ。 もちろん綺麗な発音、間違いのない文法で「完璧な英語」を話すことができるのにこしたことはないと思いますが、それ以上に相手のなまりのある英語を聴き取り、意思疎通ができることがより重要だと感じています。 特にこの国ではお互い英語を母国語としない者同士が「英語」でコミュニケーションをとることが多いからです。

これからも国際化は進み、共通語としての英語の重要性は変わらないと思います。 増えていくことはあっても、減ることはないでしょう。

・・・・・

英語が話せるということは、様々な人と出会い、コミュニケーションを取ることができます。 日本国内だけで仕事を探すのではなく、世界中の様々な仕事の中から選ぶことができます。 この選択肢の幅は大きな違いだと思います。 
もちろん日本人であるからには、日本語ができることが最も大切であり、英語はあくまでも「手段」なので、それだけができてもあまり意味がありません。 それ以外の技術や知識があって初めて英語が活かされるため、英語だけを勉強するのではなく、幅広い知識経験を身につける必要があると思います。 英語を学ぶことが先か、技術や知識を得ることが先か、それはどうでも良いことであって、どちらが今、必要なのかということが重要なのです。
技術や知識、それに加えて英語があってこそ、個人の可能性が広がると思います。

・・・・・


私は短大を卒業後、英語を多少なりとも必要とされる仕事に関わってきました。 
私が最初に英語に触れたのは、小学校の頃、遊びながら英語を学ぶような教室でした。 実際にどの程度、英語を理解していたかは覚えていませんが、そのころに英語と触れる機会があったというのは、私の人生に少なからずも影響を与えたと思っています。 英語に興味はありましたが、高校の頃などは英語の成績が特に良かったわけではありません。 現在でも英語の発音が綺麗なわけでもなく、まだまだ勉強する必要は感じています。 それでも現在は永住権も取得し、生活する分には特に不自由は感じていません。

・・・・・

小さなころから英語と関わる体験ができるのであれば、その人の将来の選択肢を世界に広げることになるので、勉強という意識ではなく楽しみながら身につけていけるといいとと思います。 また、英語はいつから勉強し始めても遅いということはありません。 何かで必要だと感じた時、学んでみたいと思ったときに始めてみてください。 強制されるのではなく、自主的に学びたいと思う時が一番英語の上達する時期だと思います。

懐石料理 後藤 ← 情報はこちらから

英語が話せなかった時には考えもしなかった世界が広がっていました

Yoshiさん (CBRE JAPAN 株式会社 外資系企業向け事業用不動産サービス

富山県生まれ。
父親の転勤で各地を転々とし、京都の大学を卒業後、
不動産会社CB Richard Ellis(株)に入社。 東京本社、新潟営業所を経て、
2003年に親会社である米国のCB Richard Ellis, Inc.へ出向、 2年間のCalifornia勤務の後、
New Yorkに隣接するNew Jerseyへ異動。
4年間に渡り、東海岸および中西部の日系企業に対して不動産サービスを提供、
2009年、東京へ帰国、現在は同社において外資系企業の担当として従事。

私が本格的に英語を学ぶきっかけとなったのは、31歳の時に訪れた親会社への出向でした。その数年前、私が勤めていた会社は米系企業の傘下となったのですが、当時、新潟にいた私は、実務上、英語を使う機会が全く無かった上、将来においても自分が英語を使って仕事をするという実感が全くありませんでした。 会社の先輩に半強制的に誘われ、28歳にして初めて、パスポートを作って行ったアメリカが最初の海外旅行、その3年後、2回目の国際線搭乗が海外赴任でした。 大きなチャンスを得られた喜びはもちろんのことですが、英語が全く話せなかった私は同時に大きな不安も抱えていました。

・・・・・

アメリカのロサンゼルスにあるオフィスに着任後、直面したのは予想以上に高い言葉の壁でした。 海外駐在とはいえ、日系企業に勤めるわけではなく、いわゆるアメリカの企業ですので、日本語など通じるわけもありません。 英語での読み書きは多少できるものの、会話となると全く勝手が違いました。 言いたい事が英語で言えず、相手の言葉もほとんど理解できず、何度ももどかしい思いをしました。 オフィスの人たちが皆フレンドリーだったのが救いでしたが、自分は遊びに来たわけではなく、ここで英語を使って仕事をしなければならないのだという「事の重大さ」を改めて認識し、言葉に表しようのない焦りとともに私の英語人生が始まりました。

 

・・・・・

仕事が終わった後、自費で英会話学校に通い、言っていることが分からなくてもオフィスの仲間の飲み会に頻繁に顔を出し、高校からずっと続けていたハンドボールでもチームを見つけて練習に参加し、とにかく英語に接する機会をなるべく増やしていくうちに英語で話すことに抵抗感が薄れ、それに伴い英語のスキルもどんどん向上していました。
そして、私の前にはいつの間にか、英語が話せなかった時には考えもしなかった世界が広がっていました。

・・・・・

渡米後3ヶ月、まだ英語でのコミュニケーションが怪しい状況にもかかわらず、泊りがけで参加したハンドボールの全米選手権では、その参加者がほとんどヨーロッパ人。 さまざまな国から、移民として、駐在員として、学生としてアメリカに来て、そこで暮らし、同じスポーツを楽しむという状況に、いろんな星から来た人が集まっているような、まるでスターウォーズの世界にいる感覚に襲われました。
その後もハンドボールを通じ、多くの友達ができ、ニューヨークに転勤後も、マンハッタン内に練習場所を構えるチームに所属、様々な国から来た仲間たちとたくさんの思い出を作ることができました。

・・・・・

渡米後6年が経ち、2年間のロサンゼルス、4年間のニューヨーク生活を終え、今年の初め、任期満了に伴い日本に帰国しました。 アメリカでは日系企業のアメリカにおける不動産戦略のサポートサービスという業務についていましたが、今は逆に日本における外資系企業の不動産に関する業務についています。
オフィスにはオーストラリアや香港、イギリス系の人が多く、毎月電話会議で韓国、中国、タイ、インドなどアジア諸国の同僚ともマーケットやクライアントに関する定例会があります。
英語にもそれぞれの国や地域で日本の方言のようなものがあり、これまで接してきたアメリカ、(英語が母国語でない)ヨーロッパの人たちとはまた違うアクセントやボキャブラリーに戸惑いを覚えながら、またさらに自分の世界が広がったことを痛感しています。
アメリカでの6年間の生活を通じて、今ではアメリカ、ヨーロッパ、アジア、世界中のいたるところに友達がいて、いつもは会えなくとも、e-mailやFacebook、Skype等でコミュニケーションをとっています。

・・・・・


英語は決して難しいものではなく、自分の気持ちを相手に伝えるツールです。 人より上手い、下手ではなく、相手に気持ちが伝わって、相手の思っていることを理解できれば良いと私は思います。
英語を習得することはゴールではなく、英語を学ぶことにより、自分の世界を広げるためのきっかけが得られるのだと私は思います。 私はこれからも自分の英語のスキルをもっと磨き、世界中のいろんな人とたくさん話をして、いろんな経験を積み、自分の人生をもっと豊かにして生きたいと思っています。

コミュニケーションの高い壁を、 “英語”という共通言語によって越えること

Eri K.さん (広告代理店 女性向け雑誌の広告営業)

名古屋生まれ。 父親の転勤で兵庫県・福岡県と転々とし、高校卒業後に、
アメリカのアリゾナ州、北アリゾナ大学に留学。 専攻はComputer Information System(経営情報学)。
卒業後、日本に帰国し、広告代理店にて女性向け雑誌の広告営業をしている。

1.現在はどんなお仕事をされているのですか?

千葉県の柏で、某広告会が取り扱っている20代~30代の働く女性をターゲットにした、
女性向け雑誌の広告枠の営業販売をしています。

・・・・・

2.なぜ、そのお仕事を選ばれたのですか? 

この仕事を選んだ最大の理由は、会社の社風が気に入ったからです。 新卒の私にとって職種がどうこう、というよりも、
“自分が自分らしく働ける環境に身を置く”ということが一番大事だと考えたからです。 

もちろん、それだけではなく、自分の留学経験から、

1.今の自分を生かせる仕事
2.誰かを元気にしたり、感動させる仕事
3.社会人としての基礎体力をつけられるであろう“営業職”

という3つの要素をキーワードに仕事探しをしました。
結果的に全てが満たされる仕事につけましたが、当時は一つでも条件が満たされれば良いと思っていました。

・・・・・

3.留学経験から得た英語を使う機会はあるのですか?

英語は・・・というと全く使う機会がありません。もちろん、それは覚悟の上でした。
英会話が上達するようになるには、まずは基本の文法を・・・というように、
英語を使える仕事という考え方ではなく、英語をより生かせる基礎となる
「社会人としての基礎体力(コミュニケーション力・対応力等)」を若いうちにしっかりとつけたかったのです。 そのため、英語を使った仕事をしていくのは、「今後」ということになるでしょうか。

・・・・・

4.現在、私生活も含めて、1日にどのくらい英語に触れているのですか?

現在は全くゼロです。 社会人3年目になって、これはよろしくないと思い、TOEICで900点を目標として、
毎日の通勤時間の約1時間を使って、文法の勉強をしている程度です。 
“世界中の人と流暢なジョークをいいながら笑い合う”そんな自分になるためには
明確な目標と自分に負けない継続的な努力が必要だと感じています。

・・・・・

5.留学経験がありますが、初めて英語に触れたのはいつなのですか?

私の生まれは名古屋で、小学校低学年のときに兵庫県・福岡県へと父親の転勤で移りました。
福岡という地理的条件と、両親が海外旅行が好きだったということが影響して、小学校高学年や中学校時代に幾度となくアメリカ・ヨーロッパ・アジア(タイやマレーシア)へ旅行に行っていました。特に小学校高学年のときに行った、ヨーロッパ6カ国の旅が初めて生の英語に触れた時で、英語に興味を持つきっかけになったのだと思います。 
その時は旅行会社の添乗員さんと30名ほどの人たちと行く、グループツアーでした。 現地の人と楽しそうに会話をする添乗員さんを見ていると、私にはとてもかっこよく写り、自分もいつかこんな風になりたいと思ったのを覚えています。

・・・・・

6.英語はどうやって勉強してきたのですか? 

私は、正直、英文法は好きではなかったのですが、英会話がとにかく大好きでした。 
当時、中学生だった私は、深夜によく将来の自分を夢見て“ビバリーヒルズ 青春白書”という
NHKの海外ドラマを見ては、英語の真似をしていました。 発音も単語もメチャクチャ。 
ただただ、繰り返し、真似をしていたのを覚えています。

・・・・・

7.英語を勉強してきて良かったと思う点は?

それはシンプルに、

1.洋画を字幕なしで見れるようになったこと
2.人種の違う人たちと意思疎通ができるようになったことです。 

言語が違うということでハードルだったコミュニケーションの高い壁を、
“英語”という共通言語によって越えることができたことです。 英語が話せるようになった当初は、
人種の違う相手の顔をみながら、自分の話す英語を聞きながら、すごく違和感を覚えていたのを今でも覚えています。

・・・・・

8.英語を習得するために苦労したことは?

英語を習得するのに苦労したことは・・・、今でも苦労しています。 
英語と一口に言っても、文法や発音を学ぶだけではありません。 
例えばアメリカで英語を勉強する場合、
アメリカの歴史・政治・スポーツ・文化・スラング・地域の情報・お笑い・歌・芸能人・流行、TV番組など、生活に関わるありとあらゆることを知ることが必要となります。
「そういえば昨日のTVでさ・・・」、「あの政治家どう思う?」日常会話とはそういうものです。英語が話されている、その土地のありとあらゆることに精通していなければ、真のコミュニケーションをとることはできないからです。 これには苦労しました。

・・・・・

9.英語の勉強で楽しかったことや工夫してきたことは何ですか? 

英語を勉強するにあたって自分なりに工夫したことは、
現地でよく使われるビジネスフレーズを覚えるためにドラマやニュースを良く聞いてきたことです。
聞くこと自体は当然ですが、大学の留学時代に一番気をつけていたことは、
ネイティブスピーカーが使う会話の中の単語を自分だったら?と聞いていたことです。
自分が同じ意味の内容を話そうとする時とネイティブの人の言い回しの違いは一体どこにあるんだろう・・・、
そう比較しながら聞いていました。 これを意識しつづけることで、
よりネイティブスピーカーの話し方に近づくことができると思っています。

・・・・・

10.英語を学ぶことによって、人生は変わりましたか? 

英語を学ぶことによって、日本をより好きになりました。
もっと日本を愛そう、日本人として誇りを持とう、という今までになかった価値観を持つようになりました。
留学して英語を現地で学ぶ人の多くが感じることだと思いますが、海外に行ってまず感じることは、
“自分は日本人である”ということです。 私の場合は英語を学んで、より日本の歴史や日本語に興味を持ちました。
“日本人であるなら、日本のために貢献しよう”“日本人である自分をもっと大切にしよう”
そう思えるような価値観を持つことができました。

・・・・・

11.今、英語を学んでいる方、これから英語を学ぼうとしている人たちへメッセージをお願いします。

英語を勉強したいと思うきっかけは何でもいいと思います。 
私の場合は先ほどお話したように、海外の学園ドラマ“ビバリーヒルズ 青春白書”のような学園生活をアメリカで送ってみたいという気持ちからでした。あとは自分がイメージする自分になるためにどうアクションを起こすかを考えることではないでしょうか。英語を話せるようになると何が変わるかを想像しながら。
少しずつですが、自分自身に今までなかった“自信”を持つことができるのです。 
これって簡単なことで難しいと思いませんか?
言語を習得するために費やした時間・努力・結果、これらが積み重なって自信や大切な財産になるのです。それを得ていくことによって、きっとあなたは内側から輝いてくるに違いありません。

日本だけでなく世界中にコミュニケーションできる友人がいる

カズ(Kazu)さん (輸入商品小売店 アシスタントゼネラルマネージャー:サンノゼ店)

神戸生まれ。 関西大学経済学部卒業。 カリフォルニア州アーバインバレーカレッジにてビジネスマネジメントを専攻。 現在、北カリフォルニアのサンノゼにあるサンテック(日本の輸入商品を販売する小売店)にて、店長兼アシスタントゼネラルマネージャーとして勤務。 カリフォルニアの4店舗のマネージメントを担当し、新規事業開拓に日々奮闘中。

みなさんこんにちは。
私は日本で生まれ育ち、今は北カリフォルニア(サンフランシスコから南に1時間ほど)のサンノゼに住んでいます。 留学でこっちに来るまでは、全く外国に行った経験もありませんでした。 
中学校では英語は好きでしたが、高校での英語は受験勉強ばっかりで、あまりいい思い出はありません。

はじめて生きた英語に出会ったのは、私が日本の大学で4年生のときに、アメリカに3ヶ月間、語学留学をしたときです。
そもそもアメリカに行きたいと思ったのは、当時、同じアパートの上の階に住んでいた英語の先生の影響を受けたこと、また、ファッション雑誌のカリフォルニア特集に刺激を受けたことが非常に大きな理由です。
この先生はアメリカに20年ほど在住していて、さまざまな会社で仕事をし、自ら起業したバイタリティーのあふれる人で、非常にエキサイティングな体験を私にたくさん話してくれました。 先生の英語の教え方は受験勉強とは全く異なり、毎回塾に行くのが楽しみだったのを覚えています。 教えられたのはまず発音でした。 しゃべる、聞く、書くという順でないと英語は絶対に身につかないという考え方です。

・・・・・

私にとって、カリフォルニアの自由なライフスタイルが心地よいものではないかと思い、とりあえず短期でよいので、その空気に触れてきたいと、カリフォルニアの内陸にあるリバーサイドという町に、1ヶ月間英語を学ぶために留学しました。 そのあと2ヶ月間はアメリカの西海岸、中西部、南部の都市を次々と一人で旅行し、たくさんの街や観光名所をめぐり、人とのふれあいを楽しみました。この3ヶ月の滞在を終え、アメリカで仕事をしてみたいという思いが強くなり、約1年後に正規留学で再渡米しました。

・・・・・

私は日本で大学を卒業していたので、アメリカ内で仕事ができる権利(OPT:オプショナル プラクティカル トレーニング)を得るために、2年間、カレッジ(2年制の大学)に通い、ビジネス マネージメント(経営学)を学びました。 カレッジでの勉強は基本的にアメリカ人と一緒なので、全く油断のできない大切な時間でした。
コミュニケーションが多くて、発言の機会も多いのが、日本の大学との違いです。 授業に集中できないので、私は好きではなかったのですが、日本の大学の授業よりもはるかに身についたと思います。

また勉強だけをしていても、アメリカの文化に触れることはできないと思い、学校のベールボールクラブに1年間参加し、シーズンを通して地元の学生との野球生活を楽しみました。
カリフォルニアには日本人の学生は非常に多いですが、カレッジ、ユニバーシティ(4年制大学)で部活をしている人はごく稀です。 毎日、数時間、アメリカ人のチームメイトと過ごすことは、私のアメリカ生活を本当に楽しくしてくれました。

たわいもない話から日本とアメリカの戦争の話など、非常に深い話題もあり、アメリカ人が戦争に対してどう考えているのかも知ることができました。
一方で、特にはじめの数ヶ月は、チームメイトとのコミュニケーションに苦労しました。

というのも、やはり、彼らの話言葉はスラング(俗語)が多いため、何を意味しているのかが分からなかったのです。 授業中、先生が話す言葉と、一般的な話言葉では、かなり違いますから、ぽか~んとしていることもよくありました。

このように、2年間の学生生活を英語を通じて学べたことは、非常に意義深いものだったと思います。 日本だけでなく世界中にコミュニケーションできる友人がいる(アメリカは移民の国で、多くの国から留学生が来ています)ということは、学生を終えたあとも自分の貴重な財産となっていきます。 ビジネスのチャンスにもなり得ますし、プライベートでずっと付き合っていく友人、恋人にもなり得ます。

・・・・・

2年間の学生生活を終え、OPTの権利を取得し、念願のアメリカでの仕事をはじめました。
私の現在の仕事は、日本の輸入商品を販売する小売店で、店長兼アシスタントゼネラルマネージャーとして、世界のIT産業の中心都市であるサンノゼで働いています。 店舗の管理、在庫の管理はもちろん、カリフォルニアに点在する4店舗のマネージメントを任せられ、新しいビジネス、マーケットの開拓が主な仕事です。

仕事において使用する言葉は日本語と英語が半々です。 お客さんとのコミュニケーションは英語と日本語が半々、ベンダー(取引先)とのコミュニケーションは、ほぼ英語です。 私は日本語が母国語なので、英語がわからず、辛い思いをすることがたまにありますが、日々勉強という姿勢で毎日楽しく仕事をしています。 今後、日本で働くのか、アメリカに残るのか、または全く別の国に行くのか分かりませんが、英語を理解することができれば、世界中の多くの国で生活ができ、仕事もできます。

今後、皆さんの中には、アメリカに留学して、そのまま働きたいと思っておられる方もおられるでしょうし、また、学生をせずに、いきなり働きに来られる方もいらっしゃると思いますが、アメリカで働きたい場合は、いつもビザの問題が付きまといます。 滞在したくても、ビザの関係で断念せざる終えない場合も多々あります。 私は、運良く学生ビザ、研修ビザを経て、ワーキングビザ(労働ビザ)を取得することができました。 ビザの取得に関しては、もちろん運もありますが、計画性を持って、また、自分がやりたいことを明確にしていれば、結果はおのずとついてくるのではないかと思います。

・・・・・

私は、まだカリフォルニアにきて4年ほどですが、今まで築いてきた人とのつながり、また、これからできるであろうつながりを人生の宝物ととらえ、自分にとって、“英語をつかうこと”が最大の武器になるだろうと確信しています。
あと数十年も経たないうちに、日本に住んでいる人も含めて、更に多くの人々が英語と日本語の両方を日常的に話す日がくると思っています。  そのとき、「英語」は話せるのが当たり前であり、「英語を話すこと」は皆にとって、「目標」ではなくなります。 さらにもう一段階上のステージ、「英語をツールとして何をするか」が問われる世の中がすぐに来るはずです。
そのためにも「英語を習得すること」は皆さんの人生に非常に大きな影響をもたらすのではないかと思います。

英語を手段だと考えないと楽しみは広がらない

安達 晋 (Susumu Adachi)さん (留学代理店グローバルパートナーズ)

東京都保谷市(現西東京市)生まれ。24歳でアメリカ・サンディエゴに留学。語学学校からサンディエゴ・メサカレッジを経て、サンディエゴ州立大学の国際ビジネス学部に編入。在学中、ロサンゼルス・ドジャースでインターンを経験。現在はアメリカ生活10年の経験を生かして、日本の留学代理店グローバルパートナーズに勤務。

中学、高校と学校の成績は下から数えるぐらいひどかったのですが、英語だけはそこそこでした。 といっても本当に人並みで、中学のころはその英語すら平均的な成績。 だから他の教科に比べては相対的に満足していたという程度ですね。

・・・・・


唯一、英語は嫌いな教科ではありませんでした。 漠然とできるようになりたいと思っていたのは、小さいころからアメリカ大リーグが好きなことが理由だったと思います。 中学生の時から小遣いが貯まる度に、大リーグ関連の洋書を買っていました。 もちろん読めやしないので、家でにらめっこするだけ。 それでもいつもワクワクして、そこに書いてある記事が読解できるなら、どんなにいいだろうといつも思っていました。 当時の大リーグは今と違って日本人選手もいなかったですし、衛星放送もインターネットもなかったので、情報なんてほとんど入ってきませんでした。 だから、現地の出版物を取り寄せる以外に詳しい情報を得られなかったんです。 今でこそ、日本にいながら大リーグの情報を得るのに苦労しませんが、それでも本場の情報量と比べると未だ天文学的な差があります。その現地の「生の情報」にアクセスできるようになりたいっていうのが、英語を勉強する大きなモチベーションになっていたのでしょう。

・・・・・

今でも大リーグに関する英文の本はよく読みます。 アメリカの場合、さすがに本場だけあって、いわゆる「野球ライティング」の分野が確立されています。 そのため、とても面白い! 単なる薄っぺらな野球情報じゃなくて、文学の域に達しているような深い本がいくらでもあります。そういった本にはまってしまうと、大リーグを単なるスポーツではなく、文化的、社会学的な見地からも楽しめるような幅ができるわけです。 その域に達するためには、それなりの「英語力」がどうしても必要になってしまいます。 自分の場合は、英語を学ぶことは趣味の為であったので、かなりモチベーションを高く維持してこれましたが。

・・・・・

英語を学ぶこと自体が目的ではなく、身につけた英語力を何に使うのか、つまり英語を手段だと考えないと楽しみは広がらないと思います。 サンディエゴに留学して実感したのは、いろんな国から人が集まってくるため、多種多様なバックグランドを持った人と知り合うことができました。これは留学の醍醐味のひとつです 。英語はそういう人たちをよく知る為のコミュニケーションの道具にすぎないということです。 だからこそ、肩肘はらずにリラックスして楽しみながら、学んでいくのが大事だと思います。

・・・・・


「英語は手段だよ」って話しをすると、「あたりまえじゃない」っていう人が多いのですが、これは非常に大切な部分です。 
まず、面白いのは、日本の一流と呼ばれる大学の在学生や出身者に限って、その違いが曖昧な人が多いということです。 一流大学を受験するには英単語だけでも一万語ぐらい暗記しないといけないですし、和訳のテクニックや、あまつさえ出題者の意図を読み取ってそれに沿った解答の仕方も覚えないといけない。 これらの英語本来の面白さと全く関係ない部分に、勉強時間をさかないといけなかったのです。そういうことに血道をあげてきた人たちに、「英語は世界を知るための手段にすぎないんだよ」と言っても、理解しにくいのだと思います。

・・・・・

一流大学に通っている人が、仮に留学した場合、英語の上達は比較的早いものです。 やっぱりそういった高いポテンシャルを持っていることは、留学カウンセラーをやっている立場上よくわかります。 だからこそ、受験英語だけを経験して、英語本来の楽しさに触れないまま、英語から離れていく人はかわいそうであり、もったいないと思います。

・・・・・

もう一点、これは日本の英語教育のせいかどうかは分かりませんが、
「英語なんか大嫌い、英単語を見るのも嫌だ」っていう人が、周りに必ず何人かいませんか? 
本来、英語(外国語)を習得することは学問ではないと思うので、机に向かって徹夜でガリ勉ではなく、楽しみながら学ぶことが許されてよいと思います。 
その環境作りを日本の教育現場が提供することができないのであったら、それを提供してくれる場所で楽しく学べばいいだけの話しです。
英語塾なんかそういった受け皿として、子供たちの役に立ってほしいと思いますし、自分も留学カウンセラーとして、英語を学ぶモチベーションや楽しさなどを、留学希望者にどんどん提案していきたいと思っています。