admin_elifet のすべての投稿

自分を信じて全力で頑張れば、必ず認めてもらえる

宇佐見牧子(Makiko Usami)さん (留学コンサルティング会社勤務:カリフォルニア)

東京都出身。アメリカ合衆国ロス郊外アーバイン在住。
Ball State University大学院卒。2003年12月スポーツ運営学科卒業。
現在、アーバイン市にある 留学コンサルティング会社IGE社勤務(www.weexchange.com)。
三児の母。

留学を思い立ったのは大学1年生の頃。海外出張の多かった父の影響で外国の文化に常に興味を持っていました。大学1年で初めてアメリカへ旅行し、2週間のホームステイを体験。英語が通じなくて苦労したこの経験がきっかけで大学3年生からの語学留学を決意しました。不安と期待の中、カリフォルニア州、サンディエゴでの語学留学が開始。この1年は、私の人生にとってとても貴重な期間でした。初めて親元から離れて、一人で暮らす事の大変さ、どれだけたくさんの人にお世話になってきたかを実感しました。

父親のアドバイスは「この1年間は語学だけに拘らず、日本では経験できないこと、今しか出来ない事も積極的に行うこと」でした。さまざまな国の留学生と友達になったり、海に行ったり、あらゆる事に挑戦しました。語学学校には世界各国から学生が留学しているため、スイス、ブラジル、韓国といったように世界中に友達ができました。たびたびホームパーティーが開かれ、それぞれの国の料理を持ち寄ったり、レシピを教えあったりしました。スイスの手作りパンや、韓国のタポキ、イタリアのリゾットなども学びました。日本に帰国後も、友人を訪ねて海外旅行に行き、家族にあったり、とめてもらったりと、実際に体験しながら生きた文化を学ぶことができました。こういった体験ができたのも、全て英語が話せるようになったからだと思います。

日本に帰国してから、いつかはアメリカの大学院で専門的なことを勉強してみたいという夢を抱くようになりました。今度行く時は経済的に親に迷惑を掛けないで自分で行こうという決心もしました。

日本の大学を卒業後、語学を生かせる仕事を求め、海外にも進出している三菱自動車に勤務。温かい人々に囲まれながら、国際ビジネスの基礎を習得。自立心も育ちました。職場での人間関係が非常にうまくいっていたこと、仕事が軌道にのっていたこともあり、一時は大学院留学を諦めようかとも思いました。でも、語学はあくまでもツール、英語を活かしながら専門的な知識を身につけたいという気持ちは変わりませんでした。今行かなかったら一生後悔すると思い、入社3年後に、ついに退社。その年の8月に大学院へ入学しました。

入学後は、必死に勉強しました。授業は100%理解できないので、予習復習は必須。課題をこなすのも、アメリカ人学生の倍以上の時間はかかりました。でも、留学生の意見は授業ではとても貴重だし、クラスメイトや先生も興味を持ってくれます。英語の面ではネイティブの学生には劣りますが、授業でも積極的に意見を言うようにしました。また、アメリカの大学では成績が優秀な学生に奨学金を出す制度があります。 勉強のかいもあり、初めのセメスターでGPA 4.0(オールA)を取得し、奨学金を獲得することが出来ました。自分を信じて頑張れば必ず認めてくれる。アメリカはそんな国です。

学生時代は勉強だけでなく、サークル活動も積極的に行いました。Asian American Student Associationという団体に所属し、アメリカで生活するアジア人のあり方を学んだり、アジアの文化を他の人種の人達に教育したりしました。中でも、アジアの伝統衣装を着て行ったファッションショーは、企画から、衣装集めまで全部自分たちで行ってとても楽しかったです。
在学中、たくさんの留学生、または留学を目指す人たちに出会い、ボランティアでさまざまな方の留学アレンジをお手伝いさせて頂きました。トラブルに巻き込まれたり、悩んだり、それぞれいろんな問題を抱えながらたくましく羽ばたいて行く後輩達の姿に自分自身も刺激されました。2年間のプログラムでしたが、頑張って1年半で卒業しました。

現在、留学コンサルティング会社のIGEという会社で、語学、自分の経験、専門知識を生かせる、大好きな仕事にめぐりあいました。自己実現を目指して日々、留学生の皆さんのサポートを行っています。人にはそれぞれ夢があり、その夢を叶える為に、多くの人が毎年渡米します。そんな夢のサポートを自らの経験と知識を生かしてしていけたらいいなと思っています。これから夢に向かって頑張る皆さんのサポートを一生懸命する事が、今までお世話になった方々への恩返しになるとも思っています。

私は英語を学んだことにより、世界中の人々と出会うことができ、価値観どころか人生が変わりました。世界には可能性が無限に広がっています。皆さんが英語を身につけ、世界に羽ばたいていってくれることを応援しています。

そのコミュニティーの中で、日本の代表となるのです

Kazuya Suzukiさん(宇宙航空研究開発機構JAXA)

1980年生まれ、高校1年生の9月に父親の仕事の関係で渡米し、現地校へ編入。
それ以降、大学院卒業までの約9年間をアメリカ合衆国にて過ごし、
現在は日本の宇宙開発機関にて、国際宇宙ステーション日本実験棟
「きぼう」の地上運用管制員として活躍している。

~生立ち~

元気いっぱいのわんぱく小僧であったボクは、勉強も得意な方ではなく、中学の時は全体の成績はなんとか学年の真ん中くらいにはいたものの、英語は明らかに後ろから指折り数えた方が早いほどでした。 ただ、伯母がアメリカに住んでいたため、小学生の頃に1ヶ月間アメリカで過ごしたこともあり、友達人よりは国際的な環境に恵まれていたかもしれません。 しかし、その頃は、日本人だから日本語が喋れればいいんだ! なんて口にしていたほどで、英語は勿論のこと、海外にも全く興味がありませんでした。
そんなボクに転機が訪れたのは、高校入試が終わった頃のことです。 漠然と野球選手やパイロットを夢見るボクは、志望の高校への入学が決まったばかりで、これから始まる夢いっぱいの高校生活に心を弾ませていました。 

そんなある日、父親がアメリカへ転勤することになりました。 両親はボクの将来の為にもと、アメリカでの生活を勧めましたが、第一志望校が受かっていたことと、海外での生活にまったく興味が沸かなかったボクは、アメリカに行くことを頑なに拒みました。 そして、家族会議の結果、まずは父親が単身でアメリカへ行くことになりました。 しかし、ほっとしていたのは束の間、両親の誘いはますます強くなり、結局、根気負けしたボクはとりあえず夏休みを使って母親と一緒に、父親のいるシカゴへ行くことにしました。

約10年ぶりに訪れたアメリカの印象は、幼少期の記憶とは違い、何もかもスケールがでかい!ということでした。 降り立った空港は世界で一番大きな空港であるシカゴのオヘア空港! さすがに「世界一」を誇るだけのことはあり、外に出るとボクの頭上をジャンボジェットが飛んでいき、その先には小さな頃に画用紙いっぱいにクレヨンで描いたような雲一つない真っ青な大空が広がっていました。 目の前には、その大空を突き刺すかの様にそびえ立つ、アメリカ第二の都市であるシカゴのダウンタウンの高層ビル群。 とにかくこのスケールの大きさにボクの心は圧倒され、自分の世界観がいかにちっぽけなものだったのかを気付かされた瞬間でした。
そして数週間後に訪れたグランドキャニオンの地では、眼下に広がる大自然の力が創りだす壮大なスケールの絶景に、自分という存在がいかに小さいかを改めて気付かされ、もっと自分の知らない世界を探求し、今まで見たことのない世界をこの目で見てみたいと言う探究心が心に芽生えたのを今でも覚えています。その頃抱いていた、本当に英語が喋れるようになるのか、学校に行って友達はできるのか、アメリカで生活していけるのかなどの心配事は一挙に吹き飛び、心には何の迷いもなく、ただそこにはこれからどんな苦難が訪れようとも全て乗り越えていってやる!という向上心と挑戦心を心に秘めた自分がいました。 この日からボクのアメリカ生活が始まり、今まで見たこと、やったこと、経験したことのない毎日が待つ希望に満ち溢れた未来への挑戦が始まりました。昔からあった天体や宇宙などの興味が、次第に大空を飛び回るパイロットへの憧れから、更にハードルの高い宇宙飛行士という夢へと変わっていったのもこの頃でした。

~世界はやはり広かった~

アメリカでの生活は毎日が新鮮で明日が来るのが待ち遠しいほどでした。 しかし確かに始めは大変で、当然最初にぶち当たったのが言葉の壁でした。 (高校1年の通知書で英語が10段階で3の評価だったボクには当然のことでした)
ボクの通った高校は、現地の普通校だったのですが、ESLという英語が喋れない学生のための「英語クラス」があったため、周りの高校に比べると外国人が多く、中には今まで聞いたこともない国から来ている学生もいて非常に国際色豊かな学校でした。 英語が喋れない学生のためのクラスなんて言っても本当に全く喋れないのは日本人くらいなもので、大半の学生はビギナークラス(ビギナー、インターミディエイト、アドバンス、ネイティブと、レベルごとに4つのクラスに分かれている)と言えどもそこそこの英語力が備わっていました。 
日本ではニュースをつければ少なくとも1日1度はアメリカに関する報道がされていますが、アメリカではテレビをつけても日本のニュースを耳にしないのは日常茶飯事で、現地の高校生にとって日本は教科書で出てくるアジアの国の1つにすぎず、日本のことなんてほとんど知られていませんでした。 知っていたものと言えば、第2次世界大戦の敵国日本と寿司の国日本でした。 もっとビックリしたのは、今でも日本人はちょんまげ姿に着物を着ていると思っていたことでした。 
元々明るい性格の自分には、フレンドリーなアメリカ人が周りに集まってきて、自然と友達の輪ができたのはありがたかったのですが、まったく英語が喋れなかったため身振り手振りで一生懸命意志の疎通を図っていたのを覚えています。 そんなボクを救ってくれたのは小学生の時からやっていた野球でした。 スポーツとは非常に良いもので、言葉が通じなくても自然と心が通じ合い、チームメイトとは直ぐに仲良くなれ、おかげで野球を通じて友達が増え、1年が過ぎる頃には日常会話には困らない程度になっていました。 1年前のボクの英語の成績を考えると飛躍的な成長でした。 

~言葉~

ボクの本格的な英語との出会いはこんな感じで始まりましたが、そもそも言語とは人間同士がコミュニケーションを図るために作りだしたツールにすぎなく、もっとエンターテイメント感覚で学ぶことが、語学習得の近道だと思います。元々英語が苦手であったボクは、同じテレビ番組や映画を何十回、何百回と、テープが擦り切れるまで、セリフを全部覚えられるくらいまで見ることで、言葉の言い回しとか、表現方法とか、発音とかを覚えていきました。だんだん英語が理解できるようになると、今まで映画などで翻訳されているセリフやニュースでの通訳などが、いいように訳されていることに気付くようになり、驚きと同時に、相手が本当に言っている言葉を自分で理解出来る喜びを覚えました。結局第三者から伝えられる情報はあくまでも第三者からの情報にすぎないのです。 自分で直接理解することにより自分の世界観がより大きくなるのです。

それと、今後留学や海外で暮らす方々のために一言添えますが、あなたは外国では日本人なのです。「はっ?」と思う方がほとんどだと思いますが、例えばあなたは今自分が日本人であることを日々の生活の中で意識したこと、意識させられたことがありますか? ボクは全くなかったですし、日本に暮らす今では特に日常生活の中で自分が日本人であると意識することはほとんどありません。 ただ、一歩外の国に出た瞬間、あなたは外国人となり、周りの人達はあなたのことを日本人という目で見てきます。 つまり、あなたはそのコミュニティーの中での日本の代表となるのです。 私が通学していた高校では日本人が指折り数えるくらいの人数であったため、何かと日本のことを聞かれました。 いきなり日本の代表となったボクは、いかに自分が日本のことを知らないかということに情けなさすら感じ、同時に自分が日本人であるというアイデンティティーが芽生えました。 外から見る日本というのは中から見る日本とは違い、当然今まで見なかった視点から日本を見る様になります。 視点を変えるということは非常に面白く、また重要であり、今まで感じたこともなかったことが見えたりするものです。 これもまた自分の日本に対する考えや世界観を広げ(良い意味でも悪い意味でも)、自分を成長させてくれます。 日本にいるとうんざりすることが多いかもしれませんが、実は日本って素晴らしい国なんだって気づかされますよ。   

~未来・夢に向かって~

あっという間に3年間の高校生活は終了し、その期間に言葉の壁を乗り越えられたボクは、そのまま大学・大学院へと進学し、現在の職に就きました。 現職でも英語は必須で、全15カ国が参加する国際宇宙ステーションのプログラムで使われている共通の言葉はやはり英語です。 NASA、ロシア、ヨーロッパのメンバーとの調整はもちろんのこと、実運用中にミッションコントロールルームで地上間音声通信システム(飛行場の管制官などが頭にヘッドホォンを着用し、パイロットや地上管制員とやり取りを行っているシステムの様なもの)を使用した相手国とのやり取りに使用する言葉も英語です。
高校生の時に心に誓った宇宙飛行士になるという夢は、今でもボクの目標であり、いつの日か自分が宇宙へ行ける日が来るために、日々自分を磨きあげる努力をしています。 

~メッセージ~

矛盾と不平等に満ち溢れているこの世の中で、1つだけ1人1人に平等に与えられているものがあるとボクは思います。 それは1日24時間という時間です。 時間というのは凄い力を持っていて、それをどう使うかは自分次第です。 自らの不甲斐なさや無力さに嘆き、文句を言って過ごしても24時間。 自らの欠点・弱点を克服しようと努力をしても24時間です。 この時間の存在と共にもう一つ忘れていけない事実は、この世の中に無駄なことは何一つないということです。 1年前、5年前、10年前、20年前、あの日、あの時、あの場所でのあの出来事、体験した経験には何かしらの意味があります。 だからこそ1日1日を無駄にせず、意味のある大切な日にして欲しいと思います。 
ボクの好きな話でこんなものがあります。 
「数多く中国にある竹の種類の中にこんな竹が存在する。 その竹とは、種を植えた後に、肥料と水を与えて育てるが、1年たっても2年たっても何もおこらない。 3年目も4年目も同様に育てるが何もおこらない。 しかし5年目のある日を境に、わずか6週間で30メートル近くの高さまで成長する。 人間の目にはすさまじい成長を遂げた6週間しか見えないが、埋れていた4年間という月日があったことを忘れてはいけない。 見えるものだけが全てではなく、真の価値がどこにあるかを見ること、そしてそれを大切に思い、その価値を見つけられる眼を養うことが大事である。」
ボクは竹の事は良く分からないし、こんな種類の竹が本当に存在するのかは知りません。 ただ、この話は人間の日常生活にも共通するもので、人生は目に見えるものだけが真実だとは限らず、その目に見えない物の意味や価値は、後にならないと分からないことが沢山あるということです。 
今から12年前に始まったボクのアメリカ生活が、宇宙飛行士になるという目標を与えてくれ、それが今、この職業に就くきっかけとなったように。 そして、アメリカで過ごした日々がどれほどボクの人生に計り知れない影響をもたらしているかを当時のボクには分からなかったように。

言語は生き物ですから常に変化します

さとう みゆき(Miyuki Sato)さん (フリージャーナリスト)
 
1970年千葉県生まれ。 95年に渡米し、サンディエゴ州立大学でジャーナリズムを専攻。
経済新聞社、マーケティング会社勤務を経て、現在はジャーナリストとして日本語と英語で記事を執筆。
また、国際的なマーケティング業務にも従事している。
共著に「写真で覚えるビジネス英語」シリーズがある。ロサンゼルス近郊のオレンジカウンティ在住。

【学科ではなく、言語としての英語】


英語は特に好きではありませんでした。でも高校2年生の時、友達が通っている英会話スクールの話を聞いて「なんだか楽しそう」と思い、私も通ってみることにしました。そこで初めて学校の科目としてではなく、言語としての英語というものに触れ、外国語を話すことの面白さに気づいたのだと思います。

そのスクールでは世界のさまざまな英語圏から来た講師が教えていて、彼らを通じて知る外国はとても興味深いものでした。英語が理解できれば未知の世界を知ることができる、より多くの人と交流を持てるということを、その頃から意識し始めるようになりました。

【いつか必ず戻ってくる】

海外に行ってみたいという気持ちが次第に強くなり、大学3年の時に短期留学しました。行先はロサンゼルス郊外にあるライトウッド(Wrightwood)という小さな街。ホームステイをしながらESLに1ヵ月通いました。英語は必要最低限の話がなんとかできるようになった程度ですが、アメリカという国を目で見て肌で感じたことが大きく、とても意義のある留学でした。

というのも、アメリカから帰国する時、「このままでは終われない」という気持ちが芽生え、「いつか必ず戻ってこよう」と自分に誓ったのです。留学は楽しかったけれど、外国語でのコミュニケーションは一朝一夕で実現できるものではなく、まだまだ努力が必要だと痛感しました。このまま中途半端に終わるのではなく、自信が持てるようになるまで英語を勉強しようと思ったのです。

【再び渡米】

日本で大学を卒業し、就職して3年後に留学のため再び渡米しました。留学の目的は単なる英語の上達ではなく、アメリカでジャーナリズムを学ぶことでした。その時私は、報道を自分のプロフェッションにしたいと考えていて、そのための訓練を受けること、より多くの人にインタビューできるように英語を磨くことが必要だと思ったのです。

ジャーナリズム学科での毎日は悲惨でした(笑)英語はおそらく小学生レベルという私にとって、取材をしたり、記事を書いたり、ラジオのレポーターをしたりという課題は、苦しくて苦しくて仕方ありませんでした。ひどい文章を書いてクラスメートの冷笑を買ったことも、一度や二度ではありません。それでも、荒療治を受けるうちに英語も少しずつ追いつき、夏休みには地元の新聞社でインターンとして働かせてもらいました。生まれて初めての署名入り記事は英語で書いたのです。今見ると恥ずかしいほど拙い内容ですが、今でもこの記事は大切に取ってあります。

【スキルをどう生かすか】

大学卒業後、日本に戻って再就職するつもりでしたが、たまたまロサンゼルスで就職先が見つかり、せっかくのチャンスだから働いてみることにしました。その後、やはりロサンゼルスの別の会社に転職しましたが、2001年にフリーランスとして独立し、今に至ります。

フリーになったのは、日本語と英語の両方で執筆していきたいと思ったからです。大学と仕事を通じて、私は2つの言語で取材し、執筆するというスキルを得ました。それを自分の強みとしてもっと伸ばしていこうと思ったのです。その後、英語学習本の製作にも携わるようになり、2009年に共著「写真で覚えるビジネス英語」(中経出版)を出版する機会に恵まれました。

英語を学んだことによって、たくさんの人と関わることができ、さまざまな体験をし、素晴らしい仕事をさせていただいていると思います。もちろん、本を出したからといって自分の英語が完璧だとは思いませんし、言語は生き物ですから常に変化します。これからも、自分にとって重要なコミュニケーションツールである英語、そして日本語を大切にしていきたいです。

明確な目標があり、それを達成するために、英語を一生懸命勉強した

Nさん (国際会計事務所)

東京生まれ
大学卒業後、アルバイトをしながら、税理士資格取得。
会計事務所に就職する前に、ロンドンで6ヶ月英語を勉強。
現在、国際会計事務所勤務。


現在の職業と英語

現在、私は某国際会計事務所の税務部門で働いています。具体的には、日本企業が海外の企業を買収する場合や海外の企業が日本の企業を買収する場合の税務に関するコンサルティング業務を行っています。外国人クライアントや海外の提携事務所とは頻繁に英語でメール(時には電話)でやり取りをしますし、英語でレポートを書く機会も多いので、英語を使わない日はありません。深夜残業することも少なくはないので大変ですが、新聞に大きく載るような案件もあり、やりがいを感じています。

英語との出会い

私が最初に英語に触れたのは、中学1年生の英語の授業だったと思います。
中学生の時は、英語の勉強が好きだったし、たくさん勉強しました。 なぜ好きになったかはよく覚えていませんが、とにかく英語をたくさん勉強したことだけは覚えています。寝るために布団へ入ったら、単語帳を開き、単語や例文を覚えながら寝ていました。その成果もあって、英語の成績は一番よかったです。

なぜ、英語をよく勉強したかというと、
(1)将来海外へ留学したいと思っていたこと(日本にずっといることは井の中の蛙だと思っていました)
(2)志望の大学付属高校に合格する(高校3年間スポーツに没頭して、全国大会を目指す!)
という目標があったからだと思います。
つまり、明確な目標があり、それを達成するために、英語を一生懸命勉強したのだと思います。
余談ですが、海外へ留学したいと思ったこと、及び大学付属高校へ入学して、大学受験を気にせずに、スポーツへ没頭したいと思ったのは、7つ上の兄のようになりたかったためだったと思います。
なお、中学卒業後は、志望の大学付属高校へ入学し、ラグビー部に入部して、3年間ラグビーに没頭しました。したがって、高校時代の英語の勉強は試験前の1週間のみでした(笑)。 大学に入っても、サークル活動、アルバイト、税理士試験の勉強のため、英語の勉強はほとんどしませんでした。

ロンドン留学

税理士試験の一部科目合格の後、念願の語学留学(ロンドン6ヶ月)をしました。なぜ、イギリスを選んだかというと、イギリスのスポーツ文化に触れてみたかったからです。
留学してからすぐに、語学学校の先生に頼んで、地元のサッカークラブを紹介してもらいました。そこで、毎週土曜日にイギリス人と一緒にサッカーを楽しんでいました。イギリスは紳士の国だと思っていたのに、イギリス人はサッカーの試合中、審判に文句ばっかり言っていたことには驚きました。
ロンドンでは、「より多くの人と英語を話す」という目標を掲げながら英語を勉強していました。(リスニング、文法の勉強は日本の自宅にいてもできますからね。) 幸い私は人見知りしない性格だったので、授業が終わった後に、クラスメイトを誘ってよく飲みに行って、たくさん英語を話しました。語学学校の授業よりも、この飲みながら英語を話したことのほうが、スピーキングスキル向上につながったかもしれません(笑)。
なお、いまだ英語の勉強中である私が言うのもおこがましいのですが、スピーキングスキル上達のこつは、「Don’t be afraid of making mistakes!」だと思います。 文法が間違ってていても全然気にする必要はなく、授業中や、日常生活において、とにかくどんどん英語を話すことが重要だと思います。日本人の傾向として、自分が英語を話して、相手が分からなかった場合には、自分が悪いと感じる人が多いと思います。しかし、私のイタリア人クラスメイトは、すごいイタリアなまりの英語で話しかけてきて、私が分からない顔をすると、どうしてお前は俺の英語を理解できないのだ!と逆切れしてきたこともありました(笑)。 これくらいの心構えで英語をどんどん話すことが上達のこつだと思います。

バックパック一つで海外一人旅


ロンドン留学中も、就職した後も、よくバックパック一つで一人旅をしました。 ヨーロッパはもちろん、アジア(中国ウイグル自治区、ウズベキスタン、パキスタン、キルギス、タイ、ベトナム、カンボジア、ラオス)にも行きました。これらのどの国へ行っても英語を話せる人がホテル、街中にはいますので、現地の言葉がわからなくても、楽しい時間を過ごせます。ヨーロッパを一人旅した時は、たいてい、ユースホステルに泊まったので、そこで知り合ったバックパッカーと市内観光をすることもありました。キルギスでは、ホテルのバイトの学生に頼んで、休みの日に市内を案内してもらいましたし、カンボジア(アンコールワット)では、たまたま知り合った現地学生にアンコールワットを丸二日間案内してもらったり・・・・・・・このようなことが楽しめるのは、英語がある程度できるからだと思います。

英語を勉強してよかったと思うこと

(1)視野が広くなったこと
英語が話せると、いろいろな価値観を持った人間を知ることができます。また、留学生活や海外旅行を通じて多くの異文化を体験することができました。その結果、月並みな表現ですが、視野が広がったと思います。日本では考えられないような発言、行動をする人と行動を共にすること、異文化で生活すること等により、他人の考えを受け入れる人間としての器も以前よりは大きくなった(まだまだ小さいですが)のではないかと思います。
(2)将来の可能性が広がること
英語が話せると、必然的にやりたいことの選択肢が増えると思います。たとえば、私の例ですと、税理士にもいろいろと専門分野がありますが、その中で国際的な事務所でグローバルに跨る仕事がしたいと思ったことも、ある程度英語ができたからだと思います。
(3)海外旅行を楽しめます
上記で説明したような、ツアー旅行では楽しめないような海外旅行ができます。

最後に

英語というのは単なるコミュニケーションツールです。 したがって、英語の勉強自体も大事ですが、英語を使って何をしたいのか、ということのほうがより大事だと思います。 英語ができなくても、人生をエンジョイできますが、英語ができた方がより人生をエンジョイできる可能性があると、私は確信を持って言えます。
 

おまけ:旅行先等で外国人に言われた印象的な言葉等
(1)ベネゼエラ人に、「何で日本人は戦争でアメリカに負けたのにアメリカの事が好きなのか、全く信じられない」と言われた事。
(2)ウイグル自治区の市場で知り合った若者に、「私は山本五十六を尊敬しています。」といわれた事。
(3)ウズベキスタンとカザフスタンの国境(陸路)で、パスポートを見せたら、「ナカータ、ナカータ!」と言って、
パスポートの中身を見ずに、国境を越えさせてくれた事。
(4)韓国人に、「日本の天皇とその家族は税金で裕福な暮らしをしているが、それについて、文句はないのか?」と言われた事。

人生のあらゆる場面において制約がないこと=自由であること 

Y.T.さん (タクシー会社運営)

広島県出身。アメリカのNew Jersey州にあるモントクレア州立大学経営学部経営情報システム学科を卒業。
帰国し、外資系のITコンサルティング会社で6年間、国内のインターネット会社でSEとして3年間働いた後、
現在は奥さんの実家が経営するタクシー会社の運営に携わっている。

私が最初に本格的に英語を学びたい、話せるようになりたいと思ったのは、高校2年の夏、アメリカから来た留学生の女の子とカタコトで会話をしたのがきっかけでした。中学時代と合わせ、それまでの4年半で学んだことがどれだけ通用するのか、いわば腕試しのつもりで自分から話しかけたのです。話した内容は全く他愛のないものでしたが、地球の反対からやって来た、外見も言葉も全く異なる友人とのコミュニケーションは非常に刺激に満ちたものでした。

その後高校を卒業し、アルバイトで貯めたお金でアメリカへ留学しました。4年間の大学生活で経験したことの価値は計り知れません。異文化の土地での冒険に満ちた生活、世界各国から来ている留学生との交流、議論への積極的な参加が求められる授業など、それこそ挙げ出すとキリがないのですが、その中でも特に今も重宝しているのが、これらの体験の中で身につけた英語の力です。

『英語によるコミュニケーションが苦にならない』という感覚。これは持っておくに越したことはありません。なぜなら、英語が話せるという自信は、そのままその人の人生の自由度を拡げることに繋がるからです。

まず、就職先を選ぶにあたっては、世界中のあらゆるグローバル企業が視野に入ってきます。日系の会社に入った場合でも、どこの国ともやり合えるということで仕事に幅が出ます。海外旅行も、どこでも躊躇することなく行き先が選べます。恋人や結婚相手だって、日本人に限らず相性のいい人が見つかるかも知れません。

人生のあらゆる場面において制約がないこと=自由であること。これほど素晴らしいものはないと思います。語学力を身につけるということは、その自由を手に入れることに他なりません。お金があればある程度自由な人生が送れますが、語学力で得られる自由はお金で買うことが出来ません。それほど貴重なものなのです

さらに最後に付け加えるならば、そのようにして得たグローバルな視点や、多種多様な価値観に触れることで得られる自分自身の人間的な成長こそ、語学力を通して得られる最大の効用と言えるでしょう。