admin_elifet のすべての投稿

笑顔で握手を交わし、相手の目を見てコミュニケーション

竹澤 隆史(Takashi Takezawa) さん (株式会社 オルラーヌジャポン 代表取締役社長)

1994年 (株)ポーラ化粧品本舗(現 株式会社ポーラ)入社
2002年 米国現地法人 POLA USA INC赴任(出向)
2007年 (株)オルラーヌジャポン出向 代表取締役就任

38歳 妻、3女の5人家族

英語を学ぶこと、あるいは英語に限らず語学を学ぶことはとても大切だと思います。言葉の壁を越え、文化交流をすることによって、選択肢が広がり、より大きな視野を持つことができ、同時に自分を成長させることに繋がるものだと思います。

・・・・・

私にとって英語を本格的に学びたいと思ったきっかけは、高校3年生の春に祖父と行った、オーストラリア旅行でした。初めての海外旅行、言葉の壁に不安を感じる中、それを払拭してくれたのが祖父でした。現役時代に海外も多く経験しており、さぞ語学力も堪能と思いきや、話しているのはそのままの‘典型的な日本語英語(broken English?)’。でもこれが私に大きな自信をもたらしてくれたのです。「一生懸命話せば通じる」ということ。はじめは単語レベルの会話から、徐々に慣れてくると少しずつセンテンスになり、その後の一ヶ月の長旅が非常に充実し、楽しく、勉強になったことは言うまでもありません。

・・・・・

この経験が私に大きな方向性を与えてくれました。英語への興味は更に強くなり、将来は国際的な仕事につきたいという希望を芽生えさせ、大学時代に1年休学をして米国語学留学も経験しました。現地の同世代の学生と交流しながら、単語レベルの会話から、表現方法を工夫すれば、どのようにでもコミュニケーションをとることが出来ることを学び、やれば何でも出来るという自信をつけることが出来ました。

・・・・・

社会に出た今、これらの全ての経験が私の選択肢を広げています。入社後8年が経ち米国ロサンゼルスの現地法人に赴任。現地の販売部門を任されました。また帰国後の現在は、フランスと日本企業の合弁会社にて、今度は、海外ブランドの国内販売事業を担っています。私は、英語における資格等はありませんが、これまで培ってきた経験により、現在も世界中の人々とビジネスを通して交流することが出来ています。

・・・・・

今日、日本のみならず世界中の人々が世界中に行き交う時代になっています。今後益々国境という壁は残りながらも、文化或いは言語において進化し、日本という単一民族国家の考えにとどまらず、世界の人々とのコミュニケーションをしなければならない時代になってきます。そういう意味では、英語というコミュニケーションの手段はますます必要で、むしろ当たり前の世の中になってくるかも知れません。

・・・・・

そのために、英語を単なる受験の必須科目としてとらえず、これからの世の中の不可欠な手段として学び、海外経験を深めながら視野を広げていってください。大切なのは、笑顔で握手を交わし、相手の目を見てコミュニケーションをとろうとする姿勢が取れるかです。

私も、この経験と英語を活用し、ビジネスにおける日本と世界の架け橋をしながら、さらに成長していきたいと考えています。

出来るだけ生の英語に触れるということ

Yukiさん (RECREATION/Music Therapist :レクリエーション/音楽 セラピスト)

愛知生まれ。 高校よりスイスへ留学。 
学校のプログラムでUCLAの語学学校に1ヶ月半短期留学し、カリフォルニアに惹かれる。
チャップマン大学にて音楽療法を専攻し、卒業後、
State Forensic Mental Health Hospital(州立法医学精神衛生病院)にて、
レクリエーション/音楽 セラピストとして活躍中。 現在はエアロビのインストラクターとしても活動している。

『 英語との出会いは中学校の義務教育です。 正直、嫌いでした・・・。』

Q. 何故、英語は嫌いだったのですか? 

日本人なのに、なんで英語を習わなきゃいけないの?っていうか...疑問文とか、なんで単語の順番が変わらないといけないのかとか、意味不明なことばかりで(笑)。 英語の勉強の意味も英語の勉強内容も全く理解できなかったんです。

Q. どのくらい嫌いだったのですか?

どのくらいかなあ...成績はかなり悪かったのを覚えています。 授業中は友達に手紙を書いて回したり、ほとんど勉強に興味がありませんでした。 全く勉強してなかったですね(笑)。

・・・・・

『たまたま見かけた海外の日本人学校に興味を持って、軽い気持ちで受験してみたら・・・』

高校受験の時期になって、偶然見かけたスイスの日本人学校に興味が沸いたので、軽い気持ちで受験してみたんです。 そうしたら、なんと合格して。 それ以上、意味のない受験勉強をしたくなかったという気持ちもあって、その高校への入学を即決!(笑)。

Q. 合格したスイスの日本人学校へは何故行こうと思ったのですか? 

正直に言うと、その学校の受験は12月に終わったんですよ。 結果も年内に分かったので。普通は高校受験って、2月とか3月に行われるでしょ。 だから、冬休みも勉強しないで遊べるじゃん!みたいな・・・軽い気持ちから(笑)。 あとは、単なる外国への憧れからですかね。

Q. 学校の授業はどんな感じでしたか? 

授業は日本語と英語で行われました。 高校2年生になると、2つのプログラムから好きな方を選択できました。 ひとつは、日本の大学に進学したい人用。 もうひとつは、海外の大学に進学したい人用。 私は何故か海外の大学に進学するコースを選択しました。 こっちは、英語の授業が増えるんです。 US Historyとか、Literatureとか。 勿論、日本語で数国理社の授業も受けます。 日本史とかは日本語ですし(笑)。 ちなみに、日本の大学を目指すプログラムであれば、英語以外の科目は日本語での授業だったと思います。

Q.  英語力はどのように変化していきましたか?  

何せ、日本人学校でしたので、話すのは上達しませんでした(笑)。 TOEFLとかはものすごく勉強させられたので、ReadingやGrammarはそこそこだったかと思います。 WritingはJournalを良く書かされていましたが、中学校レベルの単語しか使っていなかったかもしれません。 辞書を使うのが面倒くさかったので・・・(笑)。 正直、まともに話せるようになったのは、アメリカに来てからです。 特に仕事で初めて周りに外国人しかいない環境で、しかも絶対に話さないといけないという状況に追い込まれたらさすがに伸びましたね。 大学に入学した当初はカタコトだったとおもいます。 電話なんか大嫌いでしたし(笑)。 だから、大学生活の初めの頃はかなり英語で苦労しました。

Q. その学校は日本人だけでしたか? 英語の授業はどんな感じで行われていたのですか?

生徒は日本人のみでした。 先生は日本人と外国人で、外国人の先生も、ほとんどが日本好きで、日本に行ったことのある、日本語が分かるっていう人たちばかりでした(笑)。 ただ、ポリシーとして、授業中は外国人の先生は日本語を話してはいけませんでした。 生徒が日本語で話しかけたり、話しているのを理解しても返事をしないという感じでした。

・・・・・

『機会があってUCLAの語学学校に...』

高校在学中は、かなり英語を勉強しました。 というよりも、むしろさせられていたのかもしれません。 そして、学校のプログラムの中で、夏休みにUCLAの語学学校に1ヶ月半行くことになりました。 その時に、カリフォルニアの青い空とビーチに惹かれて...即座にアメリカの大学に行く決意をしましたね(笑)。 それから頑張って勉強して、無事カリフォルニアのチャップマン大学に入学することができたのです。 大学では音楽療法を専攻しました。 

Q.  何故、音楽療法を専攻したのですか? 

初めから音楽療法に興味があったのではないんです。 アメリカの大学に行きたいとは思っていたものの、これといってやりたいことがあったわけではないので・・・。 音楽は小さい頃からずっと好きだったけれども、「パフォーマンスではプロとして将来食べてはいけないよなあ」って思ってたときに、ある本(アメリカの大学&Major一覧みたいなもの)で「音楽療法」という専攻を発見したんです。 それで、「これでいいかな?」みたいな軽い感じでそっちに進んでみようと。 まあ、嫌になったらMajor(専攻)を変えればいいしって思っていたので。

Q. 授業はどんな感じでした?

ほとんどの音楽(専門)のクラスは私としては簡単でした。 音楽で使う用語って、そのまま外来語として日本で使っていたものと同じだったので、その分楽でした。 難しかったのは、そのほかのクラスです。 PsychologyとかAnatomyとか、これらは全く意味不明だったし(笑)。ただ、クラス自体はほとんどが少人数だったので、それは非常に良かったと思っています。 音楽療法のクラスなんか、10人もいたのかなぁって思うぐらいですし(当時は)。

・・・・・

『卒業後は、RECREATION/Music Therapistとして働いています』

大学を卒業してからは、State Forensic Mental Health Hospital(州立法医学精神衛生病院:精神病のため、裁判出頭が不可能だと判断された人、もしくは、精神病のため有罪判決が出なかった人が拘置所や刑務所に収監される代わりに、この病院で治療をうける。 簡単に言えば、精神病を患っている犯罪者を治療する病院)でRECREATION/Music Therapist(レクリエーション/音楽 セラピスト)として働いています。

Q. Recreation/Music Therapistとはどんな職業ですか? 

音楽、またはその他のレクリエーション方法を使っての治療のはずなんですけど・・・、いろんなことをしてます(笑)。 裁判所の仕組みを教えたりとか、Substance Abuse(薬物乱用)のグループにギターを教えたりとか。 あと、Stress Reduction Thru Drumming(ドラム演奏によるストレス解消法)とか、エクササイズ(軽い運動)をやったり、カラオケをやったり、絵を描いたり、塗り絵をしたり、サッカーをやったり、ビンゴゲームをしたりなど・・・。 患者さんたちは精神病を患ってるわけですので、その症状を良くするために行うんですよ。 決して遊んでるだけではありません(笑)。 例えば、体を動かすことはDepression(うつ)に良いとか、Social Skill(社交術)を身につけるとか。 目的に応じて、レクリエーションを考えるわけです。

Q. 毎日、何人くらいの患者をを診ているのですか? 

病院の中でUnit(ユニット)というグループ単位があって、私が働いてるUnitは50人弱の患者さんたちがいます。 Group(グループ)はだいたい1つにつき、10~16人ぐらいです。 

Q. この仕事をしていて、苦労したことや大変だったことは何ですか?

理不尽なペーパーワークですね。 最近は患者さんを診るよりもペーパーワークをしてるんじゃないかって思うくらいです(笑)。 あとは人間関係が大変だったり、苦労したりします。 たまにですけど、ドクター(医師)で俺様みたいな人がいるから(笑)。 人の話を全く聞かないし。

Q. やっていて良かったなあと思える時や「やりがい」は何ですか?

長いことずっと病院にいた人が、はれて社会復帰したときは、本当に嬉しいです。 病院に来た初めの頃は、「この人かなりやばいなぁ」って思うような人が、治療によってものすごい変化を遂げたとき、やっていて良かったなあと思いますし、すごくやりがいを感じます。 あとは、仕事内容の割りに給料はいいんじゃないですかね。 残業とかはないですし(笑)。

『3年前にFitness Instructorの資格を取って、現在、エアロビのクラス教えてます・・・』

Q. なぜ、この資格をとったのですか? 

単純に暇だったからです(笑)。 当時、スポーツジムに通っていて、エアロビのクラスをとっていたんですよ。 それで楽しそうかなって思って。

Q.  今後、何か他に挑戦したり、やりたいことがありますか? 

現在、スペイン語を勉強中です。 患者さんにもメキシコ人が多いので(笑)。 お金を貯めて、ヨーロッパに遊びに行きたいなぁ。

・・・・・

Q.  最後に、読んでくれている人にメッセージを!

英語を勉強してきて、英語を話せて、特別に得したって思うことはないんですが、単純な話、海外旅行の時に困らないし、映画は字幕なしで分かるし、まあ、その場で間接的じゃなくて直接的に何かを楽しめたり、感じれたりすることはすごく良いことだと思っています。 
今、そして、これから学校で英語を勉強する子供たちや、英語に興味をもって勉強している大人の方々に私が言えることは・・・、英語(他の言語でも一緒ですが)は、要は慣れだと思うので、英語に触れる機会があったら、ぜひ、出来るだけ触れるように心がけてみてください。 触れる機会を作ることが大切だと思います。 最も英語が上達する方法は、出来るだけ生の英語に触れるということだと思います。 しかも、英語しか話さない状況で(笑)。 ぜひお試しあれ。  
ちなみに、私の座右の銘は「何事も何とかなる」です! ポジティブな思考でいることは非常に大切なことだと思っています。

その人の将来の選択肢を世界に広げることになる

後藤さおり(Saori Goto)さん (日本料理店経営 シンガポール)

石川県出身。 関西の外国語短大在学中に1年のアメリカ留学を経て、
卒業後、関西空港にてグランドホステスとして約3年。
その後、他の日系航空会社へ転職し、国際線客室乗務員にとして2年間勤務。
自分の夢の1つを達成したため、今度は海外の日本大使館に応募し、採用されて、2年間の海外生活を送る。
結婚し、ご主人の仕事の為、シンガポールへ転勤。現在、同国にて、夫婦で日本料理店を経営している。

私はシンガポール在住6年になります。 現在は日本食のお店を夫婦で経営しています。
シンガポールは、中国系、マレー系、インド系といった様々な民族で構成された多民族国家です。
こちらの生活で実感するのは、英語はコミュニケーションの手段であるということ。 もちろん綺麗な発音、間違いのない文法で「完璧な英語」を話すことができるのにこしたことはないと思いますが、それ以上に相手のなまりのある英語を聴き取り、意思疎通ができることがより重要だと感じています。 特にこの国ではお互い英語を母国語としない者同士が「英語」でコミュニケーションをとることが多いからです。

これからも国際化は進み、共通語としての英語の重要性は変わらないと思います。 増えていくことはあっても、減ることはないでしょう。

・・・・・

英語が話せるということは、様々な人と出会い、コミュニケーションを取ることができます。 日本国内だけで仕事を探すのではなく、世界中の様々な仕事の中から選ぶことができます。 この選択肢の幅は大きな違いだと思います。 
もちろん日本人であるからには、日本語ができることが最も大切であり、英語はあくまでも「手段」なので、それだけができてもあまり意味がありません。 それ以外の技術や知識があって初めて英語が活かされるため、英語だけを勉強するのではなく、幅広い知識経験を身につける必要があると思います。 英語を学ぶことが先か、技術や知識を得ることが先か、それはどうでも良いことであって、どちらが今、必要なのかということが重要なのです。
技術や知識、それに加えて英語があってこそ、個人の可能性が広がると思います。

・・・・・


私は短大を卒業後、英語を多少なりとも必要とされる仕事に関わってきました。 
私が最初に英語に触れたのは、小学校の頃、遊びながら英語を学ぶような教室でした。 実際にどの程度、英語を理解していたかは覚えていませんが、そのころに英語と触れる機会があったというのは、私の人生に少なからずも影響を与えたと思っています。 英語に興味はありましたが、高校の頃などは英語の成績が特に良かったわけではありません。 現在でも英語の発音が綺麗なわけでもなく、まだまだ勉強する必要は感じています。 それでも現在は永住権も取得し、生活する分には特に不自由は感じていません。

・・・・・

小さなころから英語と関わる体験ができるのであれば、その人の将来の選択肢を世界に広げることになるので、勉強という意識ではなく楽しみながら身につけていけるといいとと思います。 また、英語はいつから勉強し始めても遅いということはありません。 何かで必要だと感じた時、学んでみたいと思ったときに始めてみてください。 強制されるのではなく、自主的に学びたいと思う時が一番英語の上達する時期だと思います。

懐石料理 後藤 ← 情報はこちらから

英語が話せなかった時には考えもしなかった世界が広がっていました

Yoshiさん (CBRE JAPAN 株式会社 外資系企業向け事業用不動産サービス

富山県生まれ。
父親の転勤で各地を転々とし、京都の大学を卒業後、
不動産会社CB Richard Ellis(株)に入社。 東京本社、新潟営業所を経て、
2003年に親会社である米国のCB Richard Ellis, Inc.へ出向、 2年間のCalifornia勤務の後、
New Yorkに隣接するNew Jerseyへ異動。
4年間に渡り、東海岸および中西部の日系企業に対して不動産サービスを提供、
2009年、東京へ帰国、現在は同社において外資系企業の担当として従事。

私が本格的に英語を学ぶきっかけとなったのは、31歳の時に訪れた親会社への出向でした。その数年前、私が勤めていた会社は米系企業の傘下となったのですが、当時、新潟にいた私は、実務上、英語を使う機会が全く無かった上、将来においても自分が英語を使って仕事をするという実感が全くありませんでした。 会社の先輩に半強制的に誘われ、28歳にして初めて、パスポートを作って行ったアメリカが最初の海外旅行、その3年後、2回目の国際線搭乗が海外赴任でした。 大きなチャンスを得られた喜びはもちろんのことですが、英語が全く話せなかった私は同時に大きな不安も抱えていました。

・・・・・

アメリカのロサンゼルスにあるオフィスに着任後、直面したのは予想以上に高い言葉の壁でした。 海外駐在とはいえ、日系企業に勤めるわけではなく、いわゆるアメリカの企業ですので、日本語など通じるわけもありません。 英語での読み書きは多少できるものの、会話となると全く勝手が違いました。 言いたい事が英語で言えず、相手の言葉もほとんど理解できず、何度ももどかしい思いをしました。 オフィスの人たちが皆フレンドリーだったのが救いでしたが、自分は遊びに来たわけではなく、ここで英語を使って仕事をしなければならないのだという「事の重大さ」を改めて認識し、言葉に表しようのない焦りとともに私の英語人生が始まりました。

 

・・・・・

仕事が終わった後、自費で英会話学校に通い、言っていることが分からなくてもオフィスの仲間の飲み会に頻繁に顔を出し、高校からずっと続けていたハンドボールでもチームを見つけて練習に参加し、とにかく英語に接する機会をなるべく増やしていくうちに英語で話すことに抵抗感が薄れ、それに伴い英語のスキルもどんどん向上していました。
そして、私の前にはいつの間にか、英語が話せなかった時には考えもしなかった世界が広がっていました。

・・・・・

渡米後3ヶ月、まだ英語でのコミュニケーションが怪しい状況にもかかわらず、泊りがけで参加したハンドボールの全米選手権では、その参加者がほとんどヨーロッパ人。 さまざまな国から、移民として、駐在員として、学生としてアメリカに来て、そこで暮らし、同じスポーツを楽しむという状況に、いろんな星から来た人が集まっているような、まるでスターウォーズの世界にいる感覚に襲われました。
その後もハンドボールを通じ、多くの友達ができ、ニューヨークに転勤後も、マンハッタン内に練習場所を構えるチームに所属、様々な国から来た仲間たちとたくさんの思い出を作ることができました。

・・・・・

渡米後6年が経ち、2年間のロサンゼルス、4年間のニューヨーク生活を終え、今年の初め、任期満了に伴い日本に帰国しました。 アメリカでは日系企業のアメリカにおける不動産戦略のサポートサービスという業務についていましたが、今は逆に日本における外資系企業の不動産に関する業務についています。
オフィスにはオーストラリアや香港、イギリス系の人が多く、毎月電話会議で韓国、中国、タイ、インドなどアジア諸国の同僚ともマーケットやクライアントに関する定例会があります。
英語にもそれぞれの国や地域で日本の方言のようなものがあり、これまで接してきたアメリカ、(英語が母国語でない)ヨーロッパの人たちとはまた違うアクセントやボキャブラリーに戸惑いを覚えながら、またさらに自分の世界が広がったことを痛感しています。
アメリカでの6年間の生活を通じて、今ではアメリカ、ヨーロッパ、アジア、世界中のいたるところに友達がいて、いつもは会えなくとも、e-mailやFacebook、Skype等でコミュニケーションをとっています。

・・・・・


英語は決して難しいものではなく、自分の気持ちを相手に伝えるツールです。 人より上手い、下手ではなく、相手に気持ちが伝わって、相手の思っていることを理解できれば良いと私は思います。
英語を習得することはゴールではなく、英語を学ぶことにより、自分の世界を広げるためのきっかけが得られるのだと私は思います。 私はこれからも自分の英語のスキルをもっと磨き、世界中のいろんな人とたくさん話をして、いろんな経験を積み、自分の人生をもっと豊かにして生きたいと思っています。

コミュニケーションの高い壁を、 “英語”という共通言語によって越えること

Eri K.さん (広告代理店 女性向け雑誌の広告営業)

名古屋生まれ。 父親の転勤で兵庫県・福岡県と転々とし、高校卒業後に、
アメリカのアリゾナ州、北アリゾナ大学に留学。 専攻はComputer Information System(経営情報学)。
卒業後、日本に帰国し、広告代理店にて女性向け雑誌の広告営業をしている。

1.現在はどんなお仕事をされているのですか?

千葉県の柏で、某広告会が取り扱っている20代~30代の働く女性をターゲットにした、
女性向け雑誌の広告枠の営業販売をしています。

・・・・・

2.なぜ、そのお仕事を選ばれたのですか? 

この仕事を選んだ最大の理由は、会社の社風が気に入ったからです。 新卒の私にとって職種がどうこう、というよりも、
“自分が自分らしく働ける環境に身を置く”ということが一番大事だと考えたからです。 

もちろん、それだけではなく、自分の留学経験から、

1.今の自分を生かせる仕事
2.誰かを元気にしたり、感動させる仕事
3.社会人としての基礎体力をつけられるであろう“営業職”

という3つの要素をキーワードに仕事探しをしました。
結果的に全てが満たされる仕事につけましたが、当時は一つでも条件が満たされれば良いと思っていました。

・・・・・

3.留学経験から得た英語を使う機会はあるのですか?

英語は・・・というと全く使う機会がありません。もちろん、それは覚悟の上でした。
英会話が上達するようになるには、まずは基本の文法を・・・というように、
英語を使える仕事という考え方ではなく、英語をより生かせる基礎となる
「社会人としての基礎体力(コミュニケーション力・対応力等)」を若いうちにしっかりとつけたかったのです。 そのため、英語を使った仕事をしていくのは、「今後」ということになるでしょうか。

・・・・・

4.現在、私生活も含めて、1日にどのくらい英語に触れているのですか?

現在は全くゼロです。 社会人3年目になって、これはよろしくないと思い、TOEICで900点を目標として、
毎日の通勤時間の約1時間を使って、文法の勉強をしている程度です。 
“世界中の人と流暢なジョークをいいながら笑い合う”そんな自分になるためには
明確な目標と自分に負けない継続的な努力が必要だと感じています。

・・・・・

5.留学経験がありますが、初めて英語に触れたのはいつなのですか?

私の生まれは名古屋で、小学校低学年のときに兵庫県・福岡県へと父親の転勤で移りました。
福岡という地理的条件と、両親が海外旅行が好きだったということが影響して、小学校高学年や中学校時代に幾度となくアメリカ・ヨーロッパ・アジア(タイやマレーシア)へ旅行に行っていました。特に小学校高学年のときに行った、ヨーロッパ6カ国の旅が初めて生の英語に触れた時で、英語に興味を持つきっかけになったのだと思います。 
その時は旅行会社の添乗員さんと30名ほどの人たちと行く、グループツアーでした。 現地の人と楽しそうに会話をする添乗員さんを見ていると、私にはとてもかっこよく写り、自分もいつかこんな風になりたいと思ったのを覚えています。

・・・・・

6.英語はどうやって勉強してきたのですか? 

私は、正直、英文法は好きではなかったのですが、英会話がとにかく大好きでした。 
当時、中学生だった私は、深夜によく将来の自分を夢見て“ビバリーヒルズ 青春白書”という
NHKの海外ドラマを見ては、英語の真似をしていました。 発音も単語もメチャクチャ。 
ただただ、繰り返し、真似をしていたのを覚えています。

・・・・・

7.英語を勉強してきて良かったと思う点は?

それはシンプルに、

1.洋画を字幕なしで見れるようになったこと
2.人種の違う人たちと意思疎通ができるようになったことです。 

言語が違うということでハードルだったコミュニケーションの高い壁を、
“英語”という共通言語によって越えることができたことです。 英語が話せるようになった当初は、
人種の違う相手の顔をみながら、自分の話す英語を聞きながら、すごく違和感を覚えていたのを今でも覚えています。

・・・・・

8.英語を習得するために苦労したことは?

英語を習得するのに苦労したことは・・・、今でも苦労しています。 
英語と一口に言っても、文法や発音を学ぶだけではありません。 
例えばアメリカで英語を勉強する場合、
アメリカの歴史・政治・スポーツ・文化・スラング・地域の情報・お笑い・歌・芸能人・流行、TV番組など、生活に関わるありとあらゆることを知ることが必要となります。
「そういえば昨日のTVでさ・・・」、「あの政治家どう思う?」日常会話とはそういうものです。英語が話されている、その土地のありとあらゆることに精通していなければ、真のコミュニケーションをとることはできないからです。 これには苦労しました。

・・・・・

9.英語の勉強で楽しかったことや工夫してきたことは何ですか? 

英語を勉強するにあたって自分なりに工夫したことは、
現地でよく使われるビジネスフレーズを覚えるためにドラマやニュースを良く聞いてきたことです。
聞くこと自体は当然ですが、大学の留学時代に一番気をつけていたことは、
ネイティブスピーカーが使う会話の中の単語を自分だったら?と聞いていたことです。
自分が同じ意味の内容を話そうとする時とネイティブの人の言い回しの違いは一体どこにあるんだろう・・・、
そう比較しながら聞いていました。 これを意識しつづけることで、
よりネイティブスピーカーの話し方に近づくことができると思っています。

・・・・・

10.英語を学ぶことによって、人生は変わりましたか? 

英語を学ぶことによって、日本をより好きになりました。
もっと日本を愛そう、日本人として誇りを持とう、という今までになかった価値観を持つようになりました。
留学して英語を現地で学ぶ人の多くが感じることだと思いますが、海外に行ってまず感じることは、
“自分は日本人である”ということです。 私の場合は英語を学んで、より日本の歴史や日本語に興味を持ちました。
“日本人であるなら、日本のために貢献しよう”“日本人である自分をもっと大切にしよう”
そう思えるような価値観を持つことができました。

・・・・・

11.今、英語を学んでいる方、これから英語を学ぼうとしている人たちへメッセージをお願いします。

英語を勉強したいと思うきっかけは何でもいいと思います。 
私の場合は先ほどお話したように、海外の学園ドラマ“ビバリーヒルズ 青春白書”のような学園生活をアメリカで送ってみたいという気持ちからでした。あとは自分がイメージする自分になるためにどうアクションを起こすかを考えることではないでしょうか。英語を話せるようになると何が変わるかを想像しながら。
少しずつですが、自分自身に今までなかった“自信”を持つことができるのです。 
これって簡単なことで難しいと思いませんか?
言語を習得するために費やした時間・努力・結果、これらが積み重なって自信や大切な財産になるのです。それを得ていくことによって、きっとあなたは内側から輝いてくるに違いありません。