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現地のアメリカ人たちとのやりとりをスムーズにこなす技術

M.A.さん (エグゼクティブサーチ会社 シニアサーチ業務)

大阪府出身。 中学2年生の時、父親の仕事で、アメリカイリノイ州で生活することに。

3年後、日本に帰国し、同志社国際高校へ入学。

大学では教育学を専攻し、卒業後、インターンでアメリカ、カリフォルニアへ。

その後、エグゼクティブサーチ会社に入社し、シニアサーチ業務に従事。 カリフォルニア在住7年目。

現在はアメリカ、カリフォルニア州に在住しています。 エグゼクティブサーチ会社にて、主にサーチ業務を担当しています。 英語を使う頻度は、スタッフとのやり取り以外はほぼ全て英語です。 アメリカでの業務は主に現地企業を顧客としているため、日本語を活かすというよりも、むしろ現地のアメリカ人たちとのやりとりをスムーズにこなす技術、英語でのコミュニケーション能力が絶対的に必要です。 ですから、常にかなり高い英語力が求められています。

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英語力といっても、「生活」と「仕事」で求められるものは大きく異なります。 生活の場合、日系コミュニティーが既に確立されているような地域に住んでいれば、ほとんど英語を必要としません。 カリフォルニアという、多様な文化とコミュニティーが混在する州に住むためには、ある意味で強い意志と努力が必要だと思います。 色々な人種やグループが共存しているがゆえに、お互いに寛大な姿勢が存在しているように見受けられますし、基本的な英単語と文法がわかっていれば、日々の生活はほとんど問題ありません。

一方、仕事における英語力は、私の仕事柄にもよるのですが、事をより深く説明する技術が問われます。 そのため、ビジネス英語の言い回しや語彙はメールのやり取り等でも必要となりますので、分からない単語や表現方法が出てきたら、その都度書きとめ、どのような文脈で使われているかを考える習慣にしています。 たびたび出てくるものに関しては、文の前後も理解し、さらに機会があれば、ネイティブに、どのようなニュアンスで用いられる語彙なのかを聞いておきます。 

現在、この仕事において必要とされる英語力のレベルについては、きちんと文法を使い分けて、適切な文を書けることも重要ですが、書く英語と話す英語(例えばイディオムやカジュアルな表現など)の違いを認識し、その使い分けをできることが大切です。 
私が接する人々はほぼ大半がアメリカ人ですので、私が目指す英語レベルはどうしても限りなくネイティブのレベルとなってしまいます。 日々勉強中です。

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さて、私と英語との出会いですが、それはかなり幼少の頃にさかのぼります。 当時、英語教育自体は今ほど盛んではありませんでした。 それでも地元には英語塾があったので、小学校のころから習い事として通っていました。 子供は言葉を耳から覚えるといいますが、私も全く同じように音から英語に触れました。 その時に、英語の先生から「発音がとても良い」とほめてもらったことが、英語への親しみややる気、そして自信に繋がったのではないかと思っています。

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中学時代に父親の転勤でアメリカに移住しました。 初めのころは、幼いころから学び続けた英語がかなり役立ったと思っています。 とはいえ、私にとって英語はあくまでも外国語なので、アメリカ在住期間には苦労が多くありました。 そして勿論、今でも苦労することがあります。 ですから、何年経っても、私の英語に対する“学び”の姿勢は変わっていませんし、今後も変わらないと思います。

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私は、外国語の習得は、体感することが最も大切だと思っています。 それは、教科書や参考書から学ぶだけではなく、色々なアクティビティーを通して学ぶということです。 その結果、知識が増えるだけでなく、興味の幅や友達も増えますし、楽しみが広がるからです。 英語(その他の外国語)は、自分の興味を追求するための手段であって、目的にならないことが大切だと思っています。 極端な話、私は決して言語学の側面から英語を学んだわけでなく、幼少時に異文化に触れ、そのときに味わったアメリカ文化が自分の一部となり、その延長で今の英語力があると感じています。 「語学力」でなく「英語力」というゆえんもそのためです。 

「英語力」とは、言葉を含むその土地の文化、マナー、人間、歴史などを体系的に理解することだと思います。 英語のみならず、他言語を勉強する上で大切なのは、その文化を心から好きになることです。 学ぶ動機は様々だと思いますが、前述したように、私自身は自らのユニークな経験から、その後の方向性が大きく変わり、視野もぐんと広がったと思っています。 よりアメリカを身近に感じれたことが、現在の自分の「英語力」となっていると思います。

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最後に、自分の経験をもとにしか、英語を学ぶことの楽しさや可能性を語ることはできませんが、私は今の自分があることや自分の人生を、英語ぬきには語れません。 なぜなら、一つ一つの思い出深い出会いや経験が、英語を通して得られたものであるからです。
私はたまたま英語圏でしたが、英語に限らず外国語を習得することは、その文化の真髄を知るために欠かせないツールです。 訳されたものは誰かのレンズを通しての見識にすぎないので、私は自分で理解したいという願望がありました。 そのような姿勢も外国語を学ぶ際には欠かせないものだと思っています。 

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近年、繰り返し国際感覚を身につけることの重要性が唱えられていますが、それはビジネスの世界をはじめ、日常においても異文化や違った価値観を受け入れるための意識改革が必要だからであって、決して日本人としての価値観を脱ぎ捨てることであってはならないと思っています。 私は今も、アメリカに関する知識を深めると同時に、日本文化に対する正しい認識も深まっていると実感しています。 
英語を通して、世の中には文化背景の違いによって様々なものの考え方や見方があることを知ってもらいたい。 そして、より豊かな心と創造力、積極性と柔軟性を養い、今後益々、世界で活躍できる日本人が増えることを期待しています。

「はじめの一歩」は自分の足で踏み出さないと始まりません



袖山陽子(Yoko Sodeyama) さん (保育士)
東洋英和女学院短期大学 保育科卒業。 その後、幼稚園教諭として9年間子供たちとふれあい、
ニュージーランドへ渡航。 約2年間、現地で幼稚園等のボランティアスタッフとして活動。
現地の学校にてTESOL Certificate(児童英語教師)を取得。 
その後、日本に帰国し、横浜の保育園にて保育士として活躍中。 現在、4年目に突入。

~『生きた英語』との出会い~

私が始めて英語に出会ったのは、中学生の時です。 その時は、他の科目と同じように、与えられたものを受動するといった、単なる知識の詰め込み作業のようでした。 
その後も、アルバイトで塾講師、家庭教師などを経験し、教える側に立つこともありましたが、『このフレーズを暗記すれば間違いなし』といった、テストの成績を上げることが第一目標の教え方をしていました。

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そんな私の英語への関心が一変したのは、海外へ飛び出してからです。 旅行で海外に行く機会ができたことで、誰もが帰りの空港で思う、『よしっ、英語を習おう』と、自ら学びたいと湧き出る気持ちから始まり、ついにはニュージーランドで約2年にわたる海外生活にまで発展するほど、私の中での英語熱が高まりました。

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「英語」は、単なる学業向上のものではなく、生きていく上でのコミュニケーションツールです。 そんな当たり前のことが、大人になってようやく分かりました。 人間、必死になればジェスチャーや目力などで言いたいことも何かしら伝わると思います。 ただ、英語が使えるようになると、さらに踏み込んだ世界が広がるのです。

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ニュージーランド滞在中、バスの中で、思い出深い体験がありました。 日本人の私を見るなり、「元気レすかレ~」と声をかけてきた運転手さんがいました。 心の中で、『インド人だからって、カレーに引っ掛けてくるなんて・・・(笑)』なんて思っていたのですが、そんな陽気な彼と、いつも同じ時間のバスに乗っていたことで親しくなり、英語を介してコミュニケーションを持つことができたのです。

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お互いの母国語を教え合うという交流が、私が下車するまでの約1時間ほど、バスの中で日々繰り広げられました。 簡単な挨拶程度の言葉の交換でしたが、彼は、私が教わったばかりのヒンズー語で『こんにちは、ごきげんいかが?』と言うのを聞いて大喜び! 乗車するインド人をつかまえては「ヨウコ、試してごらん!」と、かなり強引ながらに会話の練習をさせられたものです。 ちなみに、彼の日本語の挨拶は「元気ですか?」になってしまい、私としては、お茶目なところだけは残しておけばよかったかな?、なんてちょっぴり後悔もしています。

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こうしてインド人と予想外の場所で交流が生まれたことで、私の中の世界はぐんと広がったような気がします。 異国の地で、体ごとぶつかっていったことで、何かに当たり、多くの知識や経験を得られたのです。 新しい世界を知る喜び、異国の人とのコミュニケーションを通じて育まれる異文化とのつながり、そんないろいろな刺激が、新たな私を作り上げてくれるような気がして、とても嬉しい体験でした。

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私は現在、日本で保育園の先生をしています。 
子どもたちとの生活の中で気づいたことは・・・
「大人が夢中になれること」=(イコール)「子どもも夢中になってしまう!」
誰かが夢中になっていることへの興味から生まれる、つまり、「『知りたい』から始まる『学びたい』気持ち」は持続性も強く、そして年齢など関係なくいつからでも始められるということ。

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帰国後、英語環境からすっかり離れてしまい、私の中の英語はどんどん記憶の彼方へと追いやられてしまっています。 意識して自分で環境を作っていくこと、地道な努力をしていきたい、と思う今日この頃ですが、日々の忙しさに埋没しているのが現状です。
そんな中、気になる学校があります。elifet International Academy
「はじめの一歩」は自分の足で踏み出さないと始まりません。 「忙しい」を理由にしないで自分なりのペースで、再びその一歩を踏み出していきたいと思っています。

世界という大きな舞台で自分の無限な可能性を試してみること

ハンター(Hunter)さん (JRA美浦トレセン 某厩舎所属 調教助手)

埼玉県生まれ。 約7年の海外生活を経て、2006年8月に日本に帰国。
JRAの厩務員課程試験に見事合格し、美浦トレセンにて調教助手として活躍中。

私が英語力の必要性を感じたのは、外国で競走馬の仕事の勉強をしたいと思い、オーストラリアに留学したときでした。
高校3年まで将来やりたいことが見つからず、進路にも悩んでいたのですが、オーストラリアに競走馬に関わる仕事をしたい人のための専門学校があるのを知り、これだ!と思いました。

学校など行かなくても、まして海外など行かなくても、日本の牧場などで競走馬の勉強や仕事はできます。 しかし海外の競馬と日本の競馬は見ていても全く違います。 当然そこにはやり方や考え方の違いがあると思いました。 また、海外の競馬に憧れもあったのでしょう。 若いうちに出来るだけ感じたり吸収したいと思いました。
それと、当時は、無気力な自分が嫌いだったので、違う世界で自分自身を変えないといけないと感じていました。

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そして、オーストラリアへ留学を決意。
ちょうどその頃、乗馬をしていたので馬への魅力はありましたが、将来、馬と一緒に仕事をしようなんては思っていませんでした。
高校まで習ってきた英語は、苦手でしたが成績は悪くありませんでした。 しかし、実際にオーストラリアに行って、現地の人と話そうとすると、全く話せませんでした。 言いたいことも言えないし、相手が何を言っているのかも分かりませんでした。 
日本の義務教育で習う英語は、受験のための英語で、実践で役立つ英語ではありませんでした。それは海外で身をもって感じてきたことです。 実際に、日本人が「義務教育の英語」だけを習得して海外に行っても、ネイティヴスピーカーとはほとんど話せないのが現実でしょう。

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その後、留学先の学校の授業や、ホームステイのあたたかい家庭での会話、そしてまわりの一般人と話す努力などの効果から、私の英語力は少しずつ上達していきました。 授業も大事ですが、やはり積極的にいろんな人と話すことは重要だと思います。 最初は、英語も喋れないのか?通じないのか?とけげんな顔をされることもあって悔しい思いもしました。 しかし、人々がよく使う英語の言いまわしを聞き覚えて、それを真似して使えばいいのです。 日本語を英語に直訳して言うよりも自然に会話ができます。 慣れてくるとだんだん人の言ってることも分かってきます。 
それと、テレビを視聴することも良い勉強になりました。 ニュースは早口でついていけませんでしたが、アニメだと声優がわかりやすく話してくれます。 そこで覚えたおもしろいジョークも会話で使えることができます。 「The Simpsons」 は私のオススメです。 頭の中でいちいち文章を作らないで、パッと言葉が出てジョークで笑わせることができたら最高ですよね。 

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せっかく英語が話せるようになり、他国の調教にも興味があったので、次はアメリカに働きに行きました。
もちろん、私の英語は完璧ではありませんでした。 仕事の話をうまく説明できないこともありました。 そのため、言葉ではなく、結果で認めさせようと思ったので、辛いことも頑張れたのかもしれません。 しかし、もっとうまく話せたら、もっと仕事がうまくいってたかもしれないとも思っています。
アメリカでの生活は楽しくて充実したものになりました。 最初は日本で働くための経験を積むために海外に渡ったはずでしたが、次第に一生海外で暮らしていこうと考えるようになってきました。

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アメリカでは実力が全てです。 実力があれば認めてもらえる世界で、誰にでもチャンスをくれます。 日本で同じ仕事に就くには、狭き門の職業訓練学校の試験に合格し入学、卒業しなくてはなりません。 年齢制限や体重制限まであります。 しかし無事に仕事に就くことができればもう安心です。 守られます。 ですから、年齢制限内までに合格できるのとできなかったのでは大きな違いがあるのです。 その段階で勝者と敗者が決まってしまうわけです。 よく日本の学校は入学が難しく卒業は簡単、アメリカの学校は入学は簡単で卒業が難しいと聞きますが似たようなシステムかもしれません。
こういう若い芽を潰してしまうような、挑戦する前にあきらめざるをえなくなる日本のシステムに疑問を持つようになりました。アメリカのほうが夢を追って生きていける。そこに魅力を感じました。

しかし、日本にも、私の実力とそれまでの海外での経験を認めてくれる人がいて、「一緒にやっていこう」と誘われ、とても嬉しかったので、結局は日本に落ち着くことにしました。 現在、日本で仕事をしておりますが、海外で得た skill, experience, そして friends はかけがえのない私の財産です。 英語力を身につけなければ、これらは得られませんでした。

今の生活に英語は必要ありません。 しかし強い馬を担当して調教し、いつか海外遠征して有名なレースに勝つことが夢なので、その時にまた英語力が役立てればいいなと思ってます。

英語は人生の可能性を広げる上で本当に必要なものです。 私の場合は競走馬の仕事でしたが、英語を通して素晴らしい経験を得ること、そして、日本という小さな枠だけでなく、世界という大きな舞台で自分の無限な可能性を試してみること、それが英語を身につける本当の意義なのではないかと思っています。

私にとって「英語」が話せることが可能にしたこと

しづこさん (産婦人科医)

栃木県佐野市に生まれる。 8歳のときに両親の仕事関係で渡米。
中学に帰国するも、日本に馴染めず、高校2年より再び留学。 
米国の大学へ入学し、苦学生だったことから、絵を売ったり、似顔絵を書いたりして生活していた。
4年制大学(Reed College)へ編入し、生物学と美学の学士を習得。
11年の米国生活にピリオドを打ち、日本に帰国して、医学部へ学士編入。 
現在は、産婦人科医として活躍中。

~英語と私~

私はアメリカに11年間、イギリスに半年間住んでいました。 最初に渡米したときは8歳の頃から3年間です。日本ではいつも引っ込み思案、「雲の上ののんちゃん」にでてくるような子で、授業も上の空、外ばかりを眺めながら一人絵を描くのが好きな少女でした。 
両親の仕事の関係で嫌々ながらの渡米。 全く英語は話せませんでした。 
アメリカでは近くに日本人学校が無かったので、普通の公立小学校に入学しました。 
相変わらず一言も英語を話せませんでしたが、いつものように一人で絵を画いていたら、次第に周りの人が集ってきているのに気づきました。そのうちの一人が「You are such a great artist!」と褒めてくれ、私は戸惑いながらも、「Thank you」と答えた記憶があります。 その後は絵を画くたびに褒められることが、嬉しくて嬉しくて。

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次第に様々な学校のアクティビティーにも参加し、自分のクリエイティビティーを積極的にアピールしながら友達をドンドン増やしていきました。 日本では「あなたはデッサンは上手だけど、絵の具の使い方が良くない」と否定的でしたが、アメリカでは「あなたのデッサンは素敵!もっとチャレンジして欲しい!」と常に肯定的で、私は初めて自分が受け入れられた喜びを感じることができました。 その後、私は引っ込み思案から卒業し、とても積極的で活発な女の子になりました。 言葉も豊かになると同時に、表情もドンドン豊かになっていきました。 こういう風に成長していけたのも、「英語」でコミュニケーションできたお陰だと思っています。

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ところが、中学1年生で日本に帰国した時はほとんど日本語が話せずに困りました。 日本語で話しても英語からの直訳なので、言葉が率直に伝わってしまったり、あいまいな表現ができなかったりして、周囲と溶け込むことが難しかったです。 何より、中学教育で「英語」はコミュニケーションの手段ではなく、受験や出世の道具として考えられていることにとても抵抗を感じていました。 私にとっての英語は、自分を相手に表現する手段であり、テストが出来るためのものでも、周囲を圧倒させるためのものでもないからです。 でも、「英語ができる」と評価された私は、周囲からドンドン孤立してゆき、進学校にも進みましたが、結局馴染めずに、アメリカに「戻る」決心をしました。

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高校2年生から、今度は一人で留学しました。 小学生の時とは違い、周囲は「日本人」としての私を期待しました。 つまり、私は「日本の代名詞」なんだと感じました。 あんなに、ひどい疎外感を味わった国なのに、不思議と「日本のよさ」を伝えたいと思うようになりました。 夏休みに帰国したときには、お茶、お花、着付け、俳句、古典など日本の文化の良さを伝えられる手段を探し、出来る限り学びました。 私はこんな素晴らしい文化に生まれたんだと誇りに思えたのも、アメリカに留学したからだと思います。 日本の文化の中で、もっとも伝えたかったのが「無常」だったと思います。 大学もアメリカで卒業しましたが、卒論はこの「無常」についてでした。 アメリカの教授から高く評価されたときは、本当に嬉しかったことを覚えています。

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日本に帰国し、老年医学に興味があった私は日本の医大に学士入学しました。 テストは英語だったので、問題なく合格し、入学後も様々な教授に英語の能力を評価され、論文のお手伝いをさせていただいたり、在学中はロンドンにも交換留学に行かせてもらいました。 ロンドンの留学中には生命倫理の授業に関心を持ち、やはり文化の違いが倫理観の違いとしてあることを確信し、他の医大生と議論しました。 日本に直接、欧米の倫理観を当てはめるのは不適切であり、日本独自の倫理観があるに違いないと思いました。 現在も大学院で医療倫理に携わっているのも、このときの議論がきっかけです。 

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「英語」のお陰で、学会に行っても様々な考えを持つ人と、問題なく議論できます。 相手が「この人は英語が話せる人」と判断すると、より深く議論出来る気がします。私にとって「英語」が話せることが可能にしたこと、を振り返ってみると、それは常に、「日本人としての私」を世界レベルで認識できるようになったことだと思います。 世界各国で、様々な考えや、人種に出会えたことはやはり、「英語」がツールとして上手に使えたからだと思います。

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~最近~

最近は博士論文をJournalに提出するように毎日がんばって書いています。 日本と欧米との違いを明らかにできたらと思っています。 
今書いている論文は、実は日本文化の素晴らしさを海外に伝えるというものです。 テーマは「勿体無い」です。 外国の人にも「ありがたい」と感じる日本人の素敵な気持ちをわかっていただければいいなと思っています。 そういう意味で私は自分のアイデンティティー・クライシスをOvercome(克服)しようとしているのかもしれません。 不思議なものです。 英語が話せるから故のクライシスを英語の表現力でOvercome(克服)する。 とっても、充実感のある作業です。

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~アイデンティティー・クライシス~

私は、あまりにも小さいころから海外に身を置いて英語を学習することには反対です。 枠の中の自由というものを大事にしたほうが、枠がない困惑よりは良いと思うからです。 言葉というのはひとつでもいいので、しっかり話せることが大事だと思います。 二つの言語が同時に同じくらいできるということにより、いわゆるアイデンティティークライシスがおきやすいからです。
英語を身につける上では、日本で幼少期を過ごし、高校生あたりで留学することが理想だと思います。 ネイティブのように話せることがなぜ良いのか、私にはまだ良くわからないところさえあります。 

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中学で日本に帰国したときは、日本語がほとんど話せませんでした。 しかし、当時は中学の英語教師よりも英語が堪能だったと思います。 英語の教師にとっては、それが、ねたみの的であり、何かにつけて、私を批判したり、テストでも理不尽な減点をよくされたものです。 教科書どおりに覚えたり、書いたりしないと減点になりました。 ちなみに、私が中学3年間で英語で満点をとれたのは最初の中間テストだけです。
そういう態度で接せられながらも、発音がネイティブに近かった私は、教師の見栄や出世のために、スピーチコンテストの県大会出場を毎年させられました。 なんだか、実験動物のような疎外感を常に感じていました。 このスピーチに出場させられることから、クラスの皆からは「アメリカ人」などと言われ、寂しい中学時代の思い出しか残っていません。
中学時代の成績は、努力でいつも上位にはいましたが、小学校の多感な時期をアメリカで過ごしたせいか、日本語の微妙なニュアンスがわからず、国語や日本史はあまりできませんでした。 そのため、高校では進学校に合格しましたが、結局中退し、アメリカに留学することになりました。

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留学をして、アメリカに戻ると、今度は「日本人」として扱われることの責任感を感じました。 あんなにひどい目にあった国なのに、アメリ人にポジティブに理解してもらおうと、どうしたらよいのか常に考えていました。 日本文化も少しずつ学んでいきました。 段々と自分の国の良さにも目を向けられるようになっていきました。 アメリカに留学していなかったら、きっと日本の良さに気づくことなく、今のように日本を好きだと思えなかったかもしれません。
帰国して、私は私立の医学部に行くことになりました。 在学中は翻訳・構成・同時通訳や英会話学校で学費を稼ぎ、教授や講師にも大変重宝され、数え切れないほどの論文構成を行ってきました。 その中で気がついたことですが、日本での研究は、ほとんど外国でやってあることの追加的なものが多いということです。 また、アメリカでは考えられないような、プレイジャリズム(盗作・盗用)のオンパレードで、唖然としました。 このような現実に直面して気づいたことがあります。 英語という言語は個性を育むことを促しているのかもしれないと。なぜなら、英語という言語は「あいまい」の対極にあるからです。

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私は日本に帰国して10年以上たちますが、未だに、「しづこさんは外国人だから」と親しい友達にさえ言われます。 これは、二つの言語を話す人の宿命なのかもしれません。 しかし、いつの日か、「しづこさんの個性だから」と言って、受け入れてもらえる日を夢見ています。