Yoshiさん (CBRE JAPAN 株式会社 外資系企業向け事業用不動産サービス)
富山県生まれ。
父親の転勤で各地を転々とし、京都の大学を卒業後、
不動産会社CB Richard Ellis(株)に入社。 東京本社、新潟営業所を経て、
2003年に親会社である米国のCB Richard Ellis, Inc.へ出向、 2年間のCalifornia勤務の後、
New Yorkに隣接するNew Jerseyへ異動。
4年間に渡り、東海岸および中西部の日系企業に対して不動産サービスを提供、
2009年、東京へ帰国、現在は同社において外資系企業の担当として従事。
私が本格的に英語を学ぶきっかけとなったのは、31歳の時に訪れた親会社への出向でした。その数年前、私が勤めていた会社は米系企業の傘下となったのですが、当時、新潟にいた私は、実務上、英語を使う機会が全く無かった上、将来においても自分が英語を使って仕事をするという実感が全くありませんでした。 会社の先輩に半強制的に誘われ、28歳にして初めて、パスポートを作って行ったアメリカが最初の海外旅行、その3年後、2回目の国際線搭乗が海外赴任でした。 大きなチャンスを得られた喜びはもちろんのことですが、英語が全く話せなかった私は同時に大きな不安も抱えていました。
アメリカのロサンゼルスにあるオフィスに着任後、直面したのは予想以上に高い言葉の壁でした。 海外駐在とはいえ、日系企業に勤めるわけではなく、いわゆるアメリカの企業ですので、日本語など通じるわけもありません。 英語での読み書きは多少できるものの、会話となると全く勝手が違いました。 言いたい事が英語で言えず、相手の言葉もほとんど理解できず、何度ももどかしい思いをしました。 オフィスの人たちが皆フレンドリーだったのが救いでしたが、自分は遊びに来たわけではなく、ここで英語を使って仕事をしなければならないのだという「事の重大さ」を改めて認識し、言葉に表しようのない焦りとともに私の英語人生が始まりました。
仕事が終わった後、自費で英会話学校に通い、言っていることが分からなくてもオフィスの仲間の飲み会に頻繁に顔を出し、高校からずっと続けていたハンドボールでもチームを見つけて練習に参加し、とにかく英語に接する機会をなるべく増やしていくうちに英語で話すことに抵抗感が薄れ、それに伴い英語のスキルもどんどん向上していました。
そして、私の前にはいつの間にか、英語が話せなかった時には考えもしなかった世界が広がっていました。
渡米後3ヶ月、まだ英語でのコミュニケーションが怪しい状況にもかかわらず、泊りがけで参加したハンドボールの全米選手権では、その参加者がほとんどヨーロッパ人。 さまざまな国から、移民として、駐在員として、学生としてアメリカに来て、そこで暮らし、同じスポーツを楽しむという状況に、いろんな星から来た人が集まっているような、まるでスターウォーズの世界にいる感覚に襲われました。
その後もハンドボールを通じ、多くの友達ができ、ニューヨークに転勤後も、マンハッタン内に練習場所を構えるチームに所属、様々な国から来た仲間たちとたくさんの思い出を作ることができました。
渡米後6年が経ち、2年間のロサンゼルス、4年間のニューヨーク生活を終え、今年の初め、任期満了に伴い日本に帰国しました。 アメリカでは日系企業のアメリカにおける不動産戦略のサポートサービスという業務についていましたが、今は逆に日本における外資系企業の不動産に関する業務についています。
オフィスにはオーストラリアや香港、イギリス系の人が多く、毎月電話会議で韓国、中国、タイ、インドなどアジア諸国の同僚ともマーケットやクライアントに関する定例会があります。
英語にもそれぞれの国や地域で日本の方言のようなものがあり、これまで接してきたアメリカ、(英語が母国語でない)ヨーロッパの人たちとはまた違うアクセントやボキャブラリーに戸惑いを覚えながら、またさらに自分の世界が広がったことを痛感しています。
アメリカでの6年間の生活を通じて、今ではアメリカ、ヨーロッパ、アジア、世界中のいたるところに友達がいて、いつもは会えなくとも、e-mailやFacebook、Skype等でコミュニケーションをとっています。
英語は決して難しいものではなく、自分の気持ちを相手に伝えるツールです。 人より上手い、下手ではなく、相手に気持ちが伝わって、相手の思っていることを理解できれば良いと私は思います。
英語を習得することはゴールではなく、英語を学ぶことにより、自分の世界を広げるためのきっかけが得られるのだと私は思います。 私はこれからも自分の英語のスキルをもっと磨き、世界中のいろんな人とたくさん話をして、いろんな経験を積み、自分の人生をもっと豊かにして生きたいと思っています。