秋山 千佳(Chika Akiyama)さん (役員秘書)
大阪府生まれ。 京都女子大学 英文学科卒業。
レコード会社勤務を経て、大手新聞社にて役員秘書として活躍。 現在は育児に奮闘中。
<英語のイメージ>
私は留学したことがありません。 そして、ご多分に洩れず、勉強嫌いでした。 そんな普通の女のコが、自力で英会話を身に付けてきたのです。
幼い頃から社交的で前向きな私にとって「英語=無限の世界」でした。 中学校で英語学習が始まった時は嬉しくて仕方ありませんでした。 どれだけ多くの人と出会い、新しい世界が見られるのだろう、と。 ポジティブな私は、将来自分が流暢に英語を話す姿を想像し、確信していたのですから若さは無敵です・・・。
残念ながら他の教科ではこんなワクワク感はありませんでした。 英語だけ。 ただ、このワクワクが20年も続いています。 続いているからこそ身に付いたのですから、やはり学習にはワクワクすることが大切だと実感しています。
<普通の女のコの英語学習年表>
私の英語学習の履歴です。 英語は使うチャンスがないと面白くないというのがよく分かります。
中学 ・・・ 英語の授業が始まる。 基礎を始めたばかりのころ。
カナダ人講師がやって来て、モチベーションが上がる。
習ったばかりの簡単な、少ない単語でも会話が成立することに気づく。
高校 ・・・ 受験としての英語学習。
単語を大量に記憶したり、読解問題を解くばかりの面白くない授業。
両親に海外留学を懇願し、断られる。
この頃から、大学生になったら自由に海外へ行きたいと思うようになる。
大学 ・・・ 英文科へ入学。
英文学、英会話、文法、発音、英語学、様々な方向から英語を学ぶ。
両親に交換留学を懇願し、断られる。
自分は心配性の両親に頼っていては留学できないと感じ始める。
留学せずに留学しているみたいな環境を自分で作ろうと決意。
大手英会話スクールで受付のアルバイトをスタート。
アルバイト先ではネイティブの講師たちと積極的に交流。
公私ともに交友関係を広げ、大学でもアルバイトでも英語漬けの毎日。
ある一定時間を超えた時、『英語脳』が出来始める。
<アルバイト初日の自己紹介>
それなりに、教育課程で英語を学んで来た私にとって、英会話スクールでアルバイトを始めることには、全く不安もありませんでした。
初日を楽しみにしていて、外国人講師とも、簡単な挨拶くらいは出来ると思っていました。
ところがある講師が明るく近寄ってきて…
講師 「HI! 名前は? 新人スタッフ?」(英語で)
私 「はい、新人スタッフです。 大学生なのでアルバイトです。 名前は千佳です」
緊張しながらも、ここまでは良かったのです。
講師 「大学生? 何を専攻してるの?」
私 「・・・English・・・」
専攻は「英文学」なのに≪literature=文学≫が出てこないのです。
恥ずかしながら、それまで発音したことのない「literature」を発音できず、自分が何を専攻しているのか、そんな基本的なことさえ表現できなかったのです。
私は今まで何をやっていたんだろう…本当にショックでした。
自分のことくらい、英語でちゃんと言えるようにならなきゃ恥ずかしい。 英単語や文法を知っているだけでは意味がない。
身の回りのことを、すべて英語に置き換えて考えるようにしようと、と思った、衝撃の初日でした。
<学校の英語から使える英語に変わったとき>
英語が話せるきっかけとなったのは、前述のとおり大学での勉強と英会話スクールでのアルバイトです。 机で勉強して、体当たりで実践する生活が丸三年。 大学の休暇中はアルバイト代で海外旅行へ行き、五感で世界を旅して、様々なことを吸収して帰りました。
当時の私は、常にポケットサイズの辞書を持ち歩き、視界に入る物事を片っ端から英語に置き換え、分からなければ辞書をひきました。 そしてネイティブの友人との会話でその言葉を使う、そんな繰り返しをして楽しんでいました。
英語漬けの毎日は、決して辛くはなく、習得すればするだけ良いことづくしでした。
留学経験のない私が、帰国子女のクラスメイトより、英語のスピーチで高い成績をもらえたことは「留学できなくても頑張ればできるんだ」という達成感と充実感で胸が一杯になりました。
アルバイト先での仕事も英語でこなせるようになり、講師とのコミュニケーションがスムーズになっていきました。 受付業務以外にも、講師のスケジュール管理や、新人講師のトレーニングにも参加するようになりました。
<帰国の飛行機での出会い>
私のように、貧弱なボキャブラリーでも、完璧な英語でなくても、よく使う英語から自然に習得していったので、簡単な英語でのコミュニケーションは問題なくなりました。
大学の休暇を利用して行った海外旅行では、アメリカから帰国する飛行機で隣に座っていたおじいさんと仲良しになりました。
医療関係のお仕事で来日されていたのですが、次回の来日で、私に通訳をしてほしいと依頼してきました。私の英語は医療関係の場で通用する高いレベルではないことを伝え、お断りしたのですが、日常会話で十分だからということで、結果3日間も手伝わせて頂きました。
本当に貴重な経験をさせてもらったおじいさんに、感謝してもしきれなかったです。
それ以来交流が続き、私の卒業、就職、結婚、出産、毎年のお誕生日におけるまで、人生のイベント毎に毎回手紙やメール、プレゼントなどで連絡をくれます。
年の離れた、私のアメリカの父であり、大切な友人の一人です。
<英語のある生活>
英語を身に付けると、特に英語圏の海外旅行は、一段と楽しく、便利になります。 文化やマナーが違っていても、英語でやり取りができる限り、海外でも自由に行動することが出来るからです。 もしトラブルに遭ってしまっても、自分で対処できるので安心です。 ちなみに、タクシーでぼったくりにあうこともありません。
海外に行かなくても国内の日常生活だって変わりました。
例えば…
・英語の夢を見る。
・映画館で洋画の字幕を追いかけなくて済む。(全ての映画ではありませんが。)
・外国人に道を聞かれたら正しく教えてあげられる。
・英語で書かれたホームページを閲覧できる。
・外国人の集うレストランやバー、クラブでも楽しくコミュニケーションができる。
・海外のアーティストのコンサートでMCが聞き取れる。
・英語の本やテレビが楽しめる。
・会社での英語の電話や文書、来客に対応できる。
・海外の文化に触れて、日本の良いところを再認識する。
<英語から離れた生活のこれから>
育児に専念している今、徐々に英語漬けの生活から離れ、現在の私は『英語脳』ではありません。
しかし、一度『英語脳』になった経験をしている限り、ある一定時間、英語に触れると、また徐々に回復してきます。
最近は、一歳の娘と一緒に英語のテレビ番組を楽しんだり、英語の絵本を読んであげたりしています。
娘には、幼少期から英語の英才教育をするつもりはありませんが、私が一緒に楽しんで、彼女の隣でもう一度英語に取り組めば、きっと娘も英語好きになるだろうと思っています。
私より、もっと多くの科目にワクワクして、勉強好きになってくれたらいいな、なんて、ちょっと欲張りながら育児に奮闘中です。
まだよちよち歩きの娘と二人でいつか海外旅行を楽しめる日を夢見て。
<最後に…>
最後に、英会話スクールの元スタッフの視点から。
私の勤務していた英会話スクールには、幼児から高齢者まで、年齢も職業も多種多様な生徒さんが在籍していました。
その中でも、飛ぶ鳥を落とす勢いであっと言う間に上達する生徒さんと、何年通ってもダメな生徒さんがいました。
その決定的な違いは、目の輝きと能動性です。
ダメな生徒さんには、「やらされている感」が漂っており、受動的でした。
上達する生徒さんは、レッスン前からレッスン後まで、目がキラキラしていて本当に楽しそうでした。
英語が話せるようになりたい、話せるようになったら○○がしたい、などの目標を持って楽しく頑張るとすぐに上達していきます。
やはり、英語学習にはワクワクすることが大切だと私は思います!