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饒舌である必要はない、ただ意思を伝えるだけでいい

AIAI(あいあい)さん (映像製作)

 
学習院大学法学部政治学科卒業
チャップマン大学大学院映画製作専攻修了(MFA)

1.仕事について

私は、日本のテレビ番組制作会社でプロデューサーのアシスタントをしていました。仕事の内容は、リサーチや取材、予算やスケジュールの管理、ロケ準備、契約書類の作成など、制作全般を通じて多岐にわたります。アメリカで映画製作の勉強をしましたが、日本ではテレビ業界の求人が多かったのでNHKやテレビ朝日などの番組に携わってきました。事前に想像していたより英語を使用する仕事はなく、忘れてしまうのではないか不安で、海外取材などの機会に自分の英語力を確認しては、一喜一憂していました。、情報番組を担当することが多かったので、英語の文書を読む機会を積極的に持つようにし、せめて感覚だけは保つ努力をしました。仕事にはやりがいを感じていましたが、もっと英語を使いたいという気持ちは強くなるばかりでした。
 私がアメリカから帰国して、そろそろ10年がたとうとしています。帰国してすぐに、アメリカ映画「ロスト・イン・トランスレーション」のスタッフとして働いた頃は、まだ日本のエンタテインメント業界は海外とのネットワークが確立していませんでした。しかし、この10年弱の間に、海外との関係は深まっています。例えば、日本国内で撮影される外国映画が増えたり、法律や政策によって二次使用の市場が拡大したり。10年前にアメリカで学んだことが、ようやく日本で実現し始めたと感じています。以前は、アメリカの常識が日本の常識になるのに20年かかると言われていましたが、今では10年もかからないのですね。
 これから制作の現場や市場が海外へ広がるにつれて、日本のエンタテインメント業界における英語の有用性は高まると信じて、私は、未来に向けえ新たな勉強を始めたところです。というわけで、現在一時休業中です。

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2.英語が話せるようになるまで

①現在の私

 アメリカを離れて10年近いので、とっさの会話などは少し心もとなくなっていることは否定できません。この点は、努力の必要性を感じます。しかし、一度身に付けた「読む力」は容易には失われないように思います。英語が読めるということはありがたいことで、世の中の論文・文献を含めてあらゆる情報は、古いことも新しいこともほとんど英語で書かれています。英語が読めれば、世界で何が起きているのかをいち早く知ることも可能です。
 私が、英語を読むときに気を付けていることは、一度読んだだけで理解したと思わず、同じ情報を別の視点で書いている物を読み、同時に日本語でも同じ情報を読み、相違点を見つけることです。例えば、小説なら原書と日本語訳を数冊読み比べると、訳者によって訳し方が異なることに気づきます。そこで、なぜ違うのかを同義語辞典、英和辞典、広辞苑などを使って調べてみるのです。同じように、ニュースなら、それが海外ではどのように伝えられているかを各国のウェブサイトで検索してみます。日本の情報だけではわからない部分や、日本人とは違う視点を知ることができ、世界についての考察を深めることができます。
 このように今も意識的に英語を学び続けていますが、実はそうした習慣は大学受験の勉強で身に付けたものでした。思い出せば、受験は精神的にも体力的にも辛いものでしたが、英語と真剣に向き合えた貴重な経験でした。

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②日本の大学へ

 私は、幼稚園にあがる頃に英語教室に通い始め、早い教育を受ける機会に恵まれました。しかし、同年代の友達よりも少し話せるということに慢心して、自分から積極的に学ぼうとはしませんでした。
 高校3年生になって進路を決めなければならなくなったとき、「アメリカに行きたい」と強く思いました。アメリカの映画と文学が特に好きで、映画の知識と読書量は誰にも負けないと自負していました。私たちは、戦後もっとも人数の多い世代で、バブル崩壊後の就職氷河期という時代でした。社会が内向きのムードで溢れていたから、映画で見ていた「こことは違う世界」に憧れたのかもしれません。「いつか海の向こうの世界を見に行くんだ」という心ひとつで、受験勉強を始めました。一日何時間も英語の勉強をする毎日を、一年間も続ける経験は、もう二度とないでしょう。仕事や生活のことを考えずに勉強だけに没頭できるのは、親の支援が得られる若い時だけだとつくづく思います。そしてそれは、とても幸運なことだとも思います。

 大学生になってからは、週に一度アメリカ人の先生に英会話のレッスンを受けていました。受験勉強で覚えた英語の正しい発音や場面ごとの使い方を習い、また新しく覚えなおすというサイクルを繰り返しました。大学卒業後にアメリカ留学して、特に苦労もせずにすんなりと英語で会話ができ、最初の授業から理解できたのは、覚えたことを、実際に使ってみるというサイクルを根気よく続けたおかげだと思います。

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③アメリカ留学

 大学院では、英語を学ぶのではなく、英語で映画のことを学んでいることが楽しくて仕方ありませんでした。二年間の大学院生活では、学生映画にできるだけ参加し、自分でも友人たちと共同で数本の映画を製作しました。カリフォルニアという土地柄か、映画学部には、アメリカ人だけでなく中南米やアジアからの留学生が多数在籍していました。私は、メキシコ、エクアドル、ブラジル、韓国、台湾、シンガポール、タイなどからやってきた若者たちと親しくなり、彼らの映画に参加しました。今はみんな母国に帰り、散り散りになってしまいましたが、映画作りの夢の下に、それぞれの国のアクセントで、思い思い好きなことを話し、笑い過ごしたあの頃を懐かしく思い出します。英語が下手だったり、言葉を知らなかったり、発音が悪かったりということは関係ありませんでした。映画が好きで、心が熱いことが、なによりも大事にされたことでした。
 私が映画を製作した時のことをお話します。撮影を始める前には、キャストのオーディションをして、撮影クルーを集めなければなりません。アメリカには映画専門の求人誌があり、そこに募集をかけて人を集めます。私は、撮影クルーは学校の友人たちにお願いしましたが、キャストはプロの役者を募集しました。すると、無報酬で過酷なスケジュールの学生映画なのに、年齢、性別を問わず、チャンスを求めて何百人も応募して来ました。私は、彼らの真剣さに驚き、この情熱がアメリカのエンタテインメント業界を支えているのだと、目の当たりにした思いでした。

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 私はプロデューサーという立場ですから、何十人というキャストやクルーを率いなければなりません。彼らの目は私に注がれていて、私はみんなに、「私と監督の作りたい映画はこういう物で、あなたにはこれをして欲しい、あれはして欲しくない」ということをはっきりと伝え、違っていたら正し、危機にはその場で適切な判断をしなければなりません。そんなときは、授業ですばらしい議論をしたり、優秀なレポートを書いたりした英語力は全く役に立ちませんでした。最も役に立ったのは、明確な意思を持って、適格な判断を伝える、シンプルな言葉ばかりでした。私が撮影を終えることができたのは、間違っても、悩んでも、苦しんでも、じっと私の次の言葉を待ってくれたキャストやクルーたちのおかげだと思います。饒舌である必要はない、ただ意思を伝えるだけでいい。生きていくために本当に必要な言葉は案外少ないのかもしれません。英語に限った事ではありませんが、言葉は、感情や理性と結びついて初めて自分のものとなり、他人の心に伝わるのだと知りました。もちろん、これまで覚えてきた英語は、レポートや企画書を書くときには大いに役に立ちました。卒業論文の作品で、私の書いた企画書を読んだ担当教授が目を潤ませたときは、ずいぶん自信がついたものです。
 修了後は、テレビのインタビューや翻訳を請け負ったり、アメリカのドラマを日本にライセンスする手伝いをしていました。日本に帰国するかどうか悩みましたが、結局、帰国を選び現在に至ります。3年間のアメリカ留学でしたが、24時間を英語で過ごすという環境は、英語が話せるようになるために必要な時間だったと思います。
 

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3.英語をこれから学ぶ人たちへ

文章を読むのにもっとも必要なのは読解力です。母国語である日本語をしっかり見に付けて感受性を磨いて下さい。
会話に必要なのは、相手に対する興味と伝えたい心です。考えや主張と言ってもいいでしょう。
他人に興味を持って下さい。そしてまず自立を目指して下さい。
それから、忘れがちですが身体も鍛えてください。自律・自尊の自立した人生を送るには、苦痛に耐えうる体力が必要です。
 英語が話せたら、どこへだって行けるって思わない?私は、そう信じて、まだまだ頑張ります。

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