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そのコミュニティーの中で、日本の代表となるのです

Kazuya Suzukiさん(宇宙航空研究開発機構JAXA)

1980年生まれ、高校1年生の9月に父親の仕事の関係で渡米し、現地校へ編入。
それ以降、大学院卒業までの約9年間をアメリカ合衆国にて過ごし、
現在は日本の宇宙開発機関にて、国際宇宙ステーション日本実験棟
「きぼう」の地上運用管制員として活躍している。

~生立ち~

元気いっぱいのわんぱく小僧であったボクは、勉強も得意な方ではなく、中学の時は全体の成績はなんとか学年の真ん中くらいにはいたものの、英語は明らかに後ろから指折り数えた方が早いほどでした。 ただ、伯母がアメリカに住んでいたため、小学生の頃に1ヶ月間アメリカで過ごしたこともあり、友達人よりは国際的な環境に恵まれていたかもしれません。 しかし、その頃は、日本人だから日本語が喋れればいいんだ! なんて口にしていたほどで、英語は勿論のこと、海外にも全く興味がありませんでした。
そんなボクに転機が訪れたのは、高校入試が終わった頃のことです。 漠然と野球選手やパイロットを夢見るボクは、志望の高校への入学が決まったばかりで、これから始まる夢いっぱいの高校生活に心を弾ませていました。 

そんなある日、父親がアメリカへ転勤することになりました。 両親はボクの将来の為にもと、アメリカでの生活を勧めましたが、第一志望校が受かっていたことと、海外での生活にまったく興味が沸かなかったボクは、アメリカに行くことを頑なに拒みました。 そして、家族会議の結果、まずは父親が単身でアメリカへ行くことになりました。 しかし、ほっとしていたのは束の間、両親の誘いはますます強くなり、結局、根気負けしたボクはとりあえず夏休みを使って母親と一緒に、父親のいるシカゴへ行くことにしました。

約10年ぶりに訪れたアメリカの印象は、幼少期の記憶とは違い、何もかもスケールがでかい!ということでした。 降り立った空港は世界で一番大きな空港であるシカゴのオヘア空港! さすがに「世界一」を誇るだけのことはあり、外に出るとボクの頭上をジャンボジェットが飛んでいき、その先には小さな頃に画用紙いっぱいにクレヨンで描いたような雲一つない真っ青な大空が広がっていました。 目の前には、その大空を突き刺すかの様にそびえ立つ、アメリカ第二の都市であるシカゴのダウンタウンの高層ビル群。 とにかくこのスケールの大きさにボクの心は圧倒され、自分の世界観がいかにちっぽけなものだったのかを気付かされた瞬間でした。
そして数週間後に訪れたグランドキャニオンの地では、眼下に広がる大自然の力が創りだす壮大なスケールの絶景に、自分という存在がいかに小さいかを改めて気付かされ、もっと自分の知らない世界を探求し、今まで見たことのない世界をこの目で見てみたいと言う探究心が心に芽生えたのを今でも覚えています。その頃抱いていた、本当に英語が喋れるようになるのか、学校に行って友達はできるのか、アメリカで生活していけるのかなどの心配事は一挙に吹き飛び、心には何の迷いもなく、ただそこにはこれからどんな苦難が訪れようとも全て乗り越えていってやる!という向上心と挑戦心を心に秘めた自分がいました。 この日からボクのアメリカ生活が始まり、今まで見たこと、やったこと、経験したことのない毎日が待つ希望に満ち溢れた未来への挑戦が始まりました。昔からあった天体や宇宙などの興味が、次第に大空を飛び回るパイロットへの憧れから、更にハードルの高い宇宙飛行士という夢へと変わっていったのもこの頃でした。

~世界はやはり広かった~

アメリカでの生活は毎日が新鮮で明日が来るのが待ち遠しいほどでした。 しかし確かに始めは大変で、当然最初にぶち当たったのが言葉の壁でした。 (高校1年の通知書で英語が10段階で3の評価だったボクには当然のことでした)
ボクの通った高校は、現地の普通校だったのですが、ESLという英語が喋れない学生のための「英語クラス」があったため、周りの高校に比べると外国人が多く、中には今まで聞いたこともない国から来ている学生もいて非常に国際色豊かな学校でした。 英語が喋れない学生のためのクラスなんて言っても本当に全く喋れないのは日本人くらいなもので、大半の学生はビギナークラス(ビギナー、インターミディエイト、アドバンス、ネイティブと、レベルごとに4つのクラスに分かれている)と言えどもそこそこの英語力が備わっていました。 
日本ではニュースをつければ少なくとも1日1度はアメリカに関する報道がされていますが、アメリカではテレビをつけても日本のニュースを耳にしないのは日常茶飯事で、現地の高校生にとって日本は教科書で出てくるアジアの国の1つにすぎず、日本のことなんてほとんど知られていませんでした。 知っていたものと言えば、第2次世界大戦の敵国日本と寿司の国日本でした。 もっとビックリしたのは、今でも日本人はちょんまげ姿に着物を着ていると思っていたことでした。 
元々明るい性格の自分には、フレンドリーなアメリカ人が周りに集まってきて、自然と友達の輪ができたのはありがたかったのですが、まったく英語が喋れなかったため身振り手振りで一生懸命意志の疎通を図っていたのを覚えています。 そんなボクを救ってくれたのは小学生の時からやっていた野球でした。 スポーツとは非常に良いもので、言葉が通じなくても自然と心が通じ合い、チームメイトとは直ぐに仲良くなれ、おかげで野球を通じて友達が増え、1年が過ぎる頃には日常会話には困らない程度になっていました。 1年前のボクの英語の成績を考えると飛躍的な成長でした。 

~言葉~

ボクの本格的な英語との出会いはこんな感じで始まりましたが、そもそも言語とは人間同士がコミュニケーションを図るために作りだしたツールにすぎなく、もっとエンターテイメント感覚で学ぶことが、語学習得の近道だと思います。元々英語が苦手であったボクは、同じテレビ番組や映画を何十回、何百回と、テープが擦り切れるまで、セリフを全部覚えられるくらいまで見ることで、言葉の言い回しとか、表現方法とか、発音とかを覚えていきました。だんだん英語が理解できるようになると、今まで映画などで翻訳されているセリフやニュースでの通訳などが、いいように訳されていることに気付くようになり、驚きと同時に、相手が本当に言っている言葉を自分で理解出来る喜びを覚えました。結局第三者から伝えられる情報はあくまでも第三者からの情報にすぎないのです。 自分で直接理解することにより自分の世界観がより大きくなるのです。

それと、今後留学や海外で暮らす方々のために一言添えますが、あなたは外国では日本人なのです。「はっ?」と思う方がほとんどだと思いますが、例えばあなたは今自分が日本人であることを日々の生活の中で意識したこと、意識させられたことがありますか? ボクは全くなかったですし、日本に暮らす今では特に日常生活の中で自分が日本人であると意識することはほとんどありません。 ただ、一歩外の国に出た瞬間、あなたは外国人となり、周りの人達はあなたのことを日本人という目で見てきます。 つまり、あなたはそのコミュニティーの中での日本の代表となるのです。 私が通学していた高校では日本人が指折り数えるくらいの人数であったため、何かと日本のことを聞かれました。 いきなり日本の代表となったボクは、いかに自分が日本のことを知らないかということに情けなさすら感じ、同時に自分が日本人であるというアイデンティティーが芽生えました。 外から見る日本というのは中から見る日本とは違い、当然今まで見なかった視点から日本を見る様になります。 視点を変えるということは非常に面白く、また重要であり、今まで感じたこともなかったことが見えたりするものです。 これもまた自分の日本に対する考えや世界観を広げ(良い意味でも悪い意味でも)、自分を成長させてくれます。 日本にいるとうんざりすることが多いかもしれませんが、実は日本って素晴らしい国なんだって気づかされますよ。   

~未来・夢に向かって~

あっという間に3年間の高校生活は終了し、その期間に言葉の壁を乗り越えられたボクは、そのまま大学・大学院へと進学し、現在の職に就きました。 現職でも英語は必須で、全15カ国が参加する国際宇宙ステーションのプログラムで使われている共通の言葉はやはり英語です。 NASA、ロシア、ヨーロッパのメンバーとの調整はもちろんのこと、実運用中にミッションコントロールルームで地上間音声通信システム(飛行場の管制官などが頭にヘッドホォンを着用し、パイロットや地上管制員とやり取りを行っているシステムの様なもの)を使用した相手国とのやり取りに使用する言葉も英語です。
高校生の時に心に誓った宇宙飛行士になるという夢は、今でもボクの目標であり、いつの日か自分が宇宙へ行ける日が来るために、日々自分を磨きあげる努力をしています。 

~メッセージ~

矛盾と不平等に満ち溢れているこの世の中で、1つだけ1人1人に平等に与えられているものがあるとボクは思います。 それは1日24時間という時間です。 時間というのは凄い力を持っていて、それをどう使うかは自分次第です。 自らの不甲斐なさや無力さに嘆き、文句を言って過ごしても24時間。 自らの欠点・弱点を克服しようと努力をしても24時間です。 この時間の存在と共にもう一つ忘れていけない事実は、この世の中に無駄なことは何一つないということです。 1年前、5年前、10年前、20年前、あの日、あの時、あの場所でのあの出来事、体験した経験には何かしらの意味があります。 だからこそ1日1日を無駄にせず、意味のある大切な日にして欲しいと思います。 
ボクの好きな話でこんなものがあります。 
「数多く中国にある竹の種類の中にこんな竹が存在する。 その竹とは、種を植えた後に、肥料と水を与えて育てるが、1年たっても2年たっても何もおこらない。 3年目も4年目も同様に育てるが何もおこらない。 しかし5年目のある日を境に、わずか6週間で30メートル近くの高さまで成長する。 人間の目にはすさまじい成長を遂げた6週間しか見えないが、埋れていた4年間という月日があったことを忘れてはいけない。 見えるものだけが全てではなく、真の価値がどこにあるかを見ること、そしてそれを大切に思い、その価値を見つけられる眼を養うことが大事である。」
ボクは竹の事は良く分からないし、こんな種類の竹が本当に存在するのかは知りません。 ただ、この話は人間の日常生活にも共通するもので、人生は目に見えるものだけが真実だとは限らず、その目に見えない物の意味や価値は、後にならないと分からないことが沢山あるということです。 
今から12年前に始まったボクのアメリカ生活が、宇宙飛行士になるという目標を与えてくれ、それが今、この職業に就くきっかけとなったように。 そして、アメリカで過ごした日々がどれほどボクの人生に計り知れない影響をもたらしているかを当時のボクには分からなかったように。

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